読書記録 『トランスジェンダーになりたい少女たち』をトランスしなかった女が読む

反TGism

『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』アビゲイル・シュライアー 岩波明監訳 村山美雪・高橋知子・寺尾まち子共訳 産経新聞出版

感想と自分語りです。かつて性別違和があった女として、経験も交えながら書きます。医学的なことは書けないので詳しくは本を読んでくださいね。思春期ブロッカー、テストステロン、ブレストバインダー、SNSの影響、友達の影響、メンタル不調…さまざまなことが指摘されています。

トランスジェンダーの「親に」聞いていることに対して批判があるようです。それは確かにあると思います。子どもから見た親子関係や学校での人間関係、その世代の空気というか価値観が抜け落ちていると一応加味しつつ読まないといけません。その点はデトランジショナー・ディジスター当事者の話も少しあり、親の意見だけでは…と思う人は、当事者の意見にも注目です。

女らしさに欠ける若い女性は「あなたはトランスジェンダーなの?」と聞かれるという。ひどいね。「あなたは女らしくないですね」を遠まわしに、そしてさも先進的かのように言えてしまう言葉。私も散々「君って男なの?(笑)」と言われてきました。時代が違ったら、トランスジェンダーなの?トランスジェンダーでしょ?トランスジェンダーだよ!などという言葉を浴びていたと思われます。

トランスジェンダー・ブームには、過保護で甘やかされて育った子供が反抗という領域を必死で守ろうとしている結果という側面がないだろうか?(p64)と著者は書いています。反抗する対象がないから、反抗する対象を躍起になって探していると。なんとなく分かってしまう私がいます。親がうざいケンカしたと言う友人たちを羨ましく思っていた時期があります。反抗するものがないなんて幸せなことですけど、思春期にとってはとにかく何かに反抗することがかっこいいと思えてしまったんですよね。

「反抗対象がないから探した」もあるかもしれませんが、「探さなくても一応反抗対象はあった、それが性別に関してだった」もあると思います。男尊左翼みたいに、先進的な親のつもりでも女性差別的な価値観(端的に言えば「女は女らしくしろ!」)の押しつけがあり、それが反抗対象になったのかもしれません。

あと反抗という言葉で『埋没した世界』の五月あかりが、性別移行は世界への復讐と言っていたのを思い出します(過去の記事)。反抗と復讐ではちょっと違いがありますが。

トランスジェンダーのインフルエンサーたちには、教義の太鼓の音にあわせて唱えられる古典的なマントラがある(p82)。マントラは「自分はトランスジェンダーかもしれないと思った人はトランスジェンダーである(p82)」「もし両親があなたを愛しているのなら、あなたのトランスジェンダー・アイデンティティを支持してくれるはずだ(p90)」などが挙げられてました。宗教っぽいね…前者は心の中で念仏唱えれば救われるみたいなお手軽さがあるな…。後者は社会的に孤立させるカルトのやり方みたいですね。ついでにカルトについて調べてるときに知りましたが、カルトは質問されるのを嫌がるらしいです。おかしいことがバレるから。

宗教の話のついでに、成人の儀式にはそれなりの危険と痛みが必要な気がしてきました。女から男に生まれ変わる()のに注射の痛みに耐えるという儀式のかわりに、子どもから大人に生まれ変わるのにバンジージャンプするとか、まだそういう儀式のほうが健全に思えてきました。「危険」「痛みに耐える自分」「生まれ変わった気分」あたりを健全に満たせる儀式があればトランスジェンダーブームの代わりになるんじゃないでしょうか。

幼稚園であれ小・中学校であれ高校であれ大学であれ、閉鎖空間において仲間外れはつらいですよね。学校の中で、先生や親のような“堅物”に、ちょっと反抗しちゃうワルのほうがイケてる、そうしないと超ダサいとかいう価値観ありませんでしたか?冬でもコート着ないとか、自転車のハンドルを改造するとか、スカートを短くするとか長くするとかやりませんでした?今では意味分からないけど当時は必死だったやつ。未成年のトランスジェンダーブームは、それが拡大したものかもしれませんね。

性自認教育はいじめ対策の面もあったのか…と思いきや、それは性自認教育を行うための口実にすぎないと著者は言っている。“いじめ”と生徒の“安全”に対する解釈が拡大され続けている(p126)のはさすがにおかしいと。“誤った”人称代名詞で呼ぶことを“いじめ”とか生徒の“安全”を脅かすとか言われるようになってますからね…。自分の性別を正確に言われるのが“いじめ”なんでしょうか?異性であるというファンタジーが壊れちゃうんでしょうか?ファンタジーを壊すことが“いじめ”なんでしょうか?

娘のトランスジェンダー自認を煽る友人たちから引き離すために、数カ月の旅をした親子がいるそう(p137)。さすがにやりすぎなんじゃないかって思っちゃうんですが…。でもカルトから脱するためにはここまでしないとなのかなあ…。労働環境とか考えると日本だと多分なかなかできない手段だと思いますし、日本にいるトランスジェンダー自認を主張する子どもをもつ親はどうすればいいんでしょう。

肉体改造を――タトゥーのような小さな変化であれ、鼻の美容整形や脂肪吸引、さらには両乳房切除など身体にメスを入れるものであれ――望むことで不思議なのは、そういったことをするだけで、いまよりはるかに幸せになれると思いこみがちだということだ。わたしたちは自分がいま何を求めているのかを理解するのは得意だが、それが与えてくれる満足感をほんとうに生みだすかどうかを予測するのはあまり得意ではない。(p168)

たしかに。手術をしても幸せになる保証はない。問題はどうして性別を変えると幸せになれると「考えた」のかですよね。ある少年のケースでは、女の子になりたい願望が、一時的に自分を捨てた母親と二度と離れたくないという気持ちから派生していたそう(p187)。…母親を自分で再現…??でもどなたかも似たようなこと言っていました、ケア役を自分の中の“女性性”に求めたのだと。ケアしてくれる人が欲しい!でもいない!ケア役は女に決まってる!じゃあ自分がケア役の女になろう!って?

マルキアーノ医師「(セラピストたちが)自分たちが間違っているなんて思えないのでしょう。間違っていたら、とんでもなく恐ろしいことに加担したと認めなければならないのですから。(p205)」アメリカの場合セラピストですが、日本の場合トランスアライも、間違いを認めたがらないでしょうね。なんなら自分たちが間違っているかもしれないと疑うことすらできない人もいますね。加担した罪悪感に向き合うのは確かにつらい。でもそろそろ向き合ったらどうなんですか?

「レズビアン」が汚い言葉!??ポルノみたい!??トランスジェンダーというアイデンティティはステータスが高いが、レズビアンはステータスの低いアイデンティティだそう(p222)。レズビアンと名乗るくらいならトランスジェンダー男性と名乗ったほうがマシってこと?それはおかしいだろ。

トランスジェンダーはインターセクショナルの盾になるという話も。白人少女は有色人種になれないし、大半は同性愛者にもなれないし、障がい者にもなれない。そんな中でも選べる被害者、それがトランスジェンダーだと(p226)。確かに白人であることは悪く言われるアイデンティティだったり、白人特権を責められれば不快かもしれないけど、それってトランスジェンダーを自認したら無効になるんでしょうか?なりませんよね?ただ代わりにどうすればいいのかという案はまだありません。「白人だけどトランスジェンダーなので特権はありません責めないでください」の代わりにとれる態度って何でしょうね。

トランスジェンダー活動家が、性別移行の手術や薬を手に入れるのに、医師や心理職が“門番(ゲートキーパー)”になっているとディスっているのを見かけます。ゲートキーパーになって何が悪いんでしょうか…。診断結果に応じて、じゃなくて要望に応じて薬の使用って、それは薬物乱用と呼ぶのでは。しかし日本では簡単に診断が下りてしまう現状があり、ゲートキーパーの役割を果たせているかというと怪しいですね。

私が性別違和があった未成年の頃にジェンダーイデオロギーがあったら、薬も手術も求めていたと思います。未成年の判断力のあてにならなさ、大人になってよく分かります。そして「どうして誰も止めてくれなかったの?」と言ってたと思います。無責任に煽るアライ()たちをきっと恨んでた。私は運良く巻き込まれなかっただけ。これからジェンダーイデオロギーに巻き込まれる人は止めます。

性別移行をやめた多くの若い女性たちは、自分はただのレズビアンであり、同性愛嫌悪を内面化し、いかにも女性らしい姿でないと女性ではないと信じこんでいただけだったと思うようになった。彼女たちのほとんどがメンタルヘルスに苦しみ、自傷していた(p286)。金も(勉強で)時間もない未成年が苦しみを何で発散するかというと、自傷か、他傷か、両方できなくてひたすら苦しむか。私はひたすら苦しんだということになりそうです。人間は苦しみに理由をつけたがります。当時の私は性別違和という意味付けをしていました。ほかにも前世とか自閉症とかいう理由にも飛びついてました。なぜ苦しいのか説明する語彙も解決する手段もありませんでしたから。

手術やホルモン投与をして、後悔するかどうかは誰にも分かりません。分かりませんが、もし後悔してもあと戻りができないのは非常に危険です。入口は入りやすいのに出口は出づらい、それは罠と呼びます。NHK連続テレビ小説『虎に翼』にもありましたね、結婚は罠だと。結婚すると女性にはデメリットがあるのに教えてもらえない、出口(つまり離婚)も出づらい。そんな罠にかかる人々を止めたいと私はトランスイデオロギー(と一応婚姻制度にも)に反対しているわけです。

トランスジェンダー自認から引き返させるために、子どもにスマホを持たせないという提案がされています。なかなかですね。親たちもたじろぐだろうと著者も言っています。オンラインコミュニティや学校の友人から引き離すのは容易ではないと分かりはするけど、そこまでしないといけないんでしょうか…。学校で友達との話についていけなくなりそうで、なんともかわいそう。インターネットの通じない馬牧場に連れていくよりはまだマイルドですが…。

医師の岩波明氏は、1990年代にアメリカを中心に起きた「偽の記憶」「抑圧された記憶」問題は、トランスジェンダーをめぐる問題と似た構造をもっているといいます。偽の記憶問題とは、医師やカウンセラーが患者のトラウマを「捏造」してしまうというもの。偽の記憶問題ではトラウマという正解を患者に与えたが、トランスジェンダーの問題においては患者がすでに性別違和という正解を用意していると。

本の中でも何度か言及されていますが、少女たちのトランスジェンダーになりたい願望は、「女であることから逃げたい」が根底にあると思います。性別違和という“正解”で思考停止するのではなく、性別違和の原因を探ると、「女であることから逃げたい」、つまり女性差別が根本原因なのではないでしょうか。

皆さんはこの世に女性差別があると知ったのはいつだったでしょうか。女性差別が自分に降りかかっていると気付いたのはいつだったでしょうか。女性差別で苦しんでいると自覚したのはいつだったでしょうか。私は未成年のときは分かりませんでした。

トランスジェンダーになりたい少女たちは、まだその段階にいるのではないかと思います。かつての私のように、自分が「女性差別で」苦しんでいることをまだ知らない。

少女たちには、まず女性差別があるということを知ってほしい。女性に「女であることから逃げたい」と思わせるものがあるということ。あなたの身体が悪いのではないということ。身体に薬を入れる必要もメスを入れる必要もないということ。自分はトランスジェンダーなのではなく、女性差別から逃げたいだけだったと、いつか私のように気付いてくれたらなって思います。

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