トランスジェンダー入門 周司あきら 高井ゆと里 集英社新書
第1章 トランスジェンダーとは?
まず前提がさあ
まずトランスジェンダーの定義、「出生時に割り当てられた性別とジェンダーアイデンティティが異なる人」にツッコみます。
何度も誰かが言っていると思いますが、誰も出生時に性別を「割り当て」てません。元々二つに分かれているものをどちらか判断しただけ。「ジェンダー」は男らしさ女らしさのただの偏見。「アイデンティティ」なんて、自分の理解なんて常に変わるものなのに、さも不変かのようなこの言葉自体おかしい。偏見に基づいた不安定な自己理解「ジェンダーアイデンティティ」は幻想だと思います。
偏見を持ち、偏見に基づいて理解や納得をし、偏見をアイデンティティにし、偏見の中で越境(トランス)しているんです。偏見を根拠にした性別の自己決定の尊重なんて幾重にもおかしいですよね。
ジェンダーって何か分かってる?
生まれた子どもは性別を割り当てられると述べてきました。この「割り当て」という事態は、子どもに二つの「課題」が与えられることとして理解可能です。
一つ目は、「女の子として/男の子としてこれからずっと生きなさい」という課題。
p35 強調は原著
二つ目は、「女の子は女の子らしく/男の子は男の子らしく生きなさい」という課題。
???一つ目はセックス(身体性別)、二つ目はジェンダー(社会的性別役割)という解釈でいい?むしろそれ以外できないが?
一つ目はまあ、誰かに課されたわけじゃないけど強制力はありますね。生まれたら死ぬまで強制的に離れられない身体と、それに付随した性質。「課せられた」というマイナスな解釈をすることもできますし、「贈られた」というプラスな解釈をすることもできますし、感情を排除して「ただ持って生まれた」と言うこともできます。
「らしさ」に異論を唱える人が「女性だからといってどうして女性らしくしなければならないのか」と述べるとき、そこでその人が「女性であること」は、前提とされています。その人は「女性であること」そのものに異議申し立てをしているわけではないのです。もし、その人がトランスジェンダーでないなら、その人は生まれてから今に至るまで「女性である」という状態を引き受け続けてきたのでしょう。このとき、その人は「あなたは女の子ですよ/女性としてずっと生きていってください」という一つ目の課題については、上手にクリアし続けていることになります。(略)
p36・37
トランスジェンダーの人がクリアできなかったのは、その一つ目の課題です。
??身体性別(一つ目の課題)はクリアするとかしないとかの次元じゃないでしょうよ。「そうあるもの」でしかない。異議申し立てしようが引き受けようが変わるものじゃない。
というかトランスジェンダーって、「ジェンダー」を「トランス」してる人たちなんだよね???二つ目の課題に抵抗しているならまだ「トランスジェンダー」で分かるけど、一つ目の課題だと言うのならせめてトランスセクシュアルって呼びなよ(トランスセクシュアルというのも幻想だけど)。
本当に一つ目の課題(だけ)の問題なら、身体男性は男性器切除手術やホルモン以外のことをしなくていい。身体以外は今までどおりでいい。長髪レディース服化粧などで“女の子らしく”する必要がない。でもするんでしょ??本当に一つ目が課題かなあ??というかセックス(一つ目の課題)とジェンダー(二つ目の課題)は関係あるかのように信じられているけど関係ないからな??
「男性ではないのに男性らしさを押しつけられること」への違和感(つまりトランス女性の違和感)と、「男性であるからといってなぜ男性らしくしなければならないのか」という違和感(シス男性やトランス男性も持ち得る違和感)は、区別することができます。前者の人は、一つ目の課題をそもそも放棄しようとしているのであり、二つ目の課題だけを退けようとしている後者の人とは異なります。そして、トランスジェンダーに固有の生きづらさは、この前者である「男性(女性)ではないのに男性(女性)らしさを押しつけられること」に由来しています。
p38
はあ?「(自分は)男性ではない」と判断した根拠何??“男(女)らしくない”からとか言わないよね?身体がしっくりこないからとか超アバウトな根拠じゃないよね?まさか根拠ゼロで自分は男ではないと主張してるわけじゃないよね??
「男性であるからといってなぜ男性らしくしなければならないのか」は分かるのに「男性ではないのに男性らしさを押しつけられること」のおかしさは分からないのか…。男性らしさを押しつけられるのは「男性だから」です。でもそれは「男性(女性)らしさの押しつけ」がなくなれば解決する。「押しつけがあること」がおかしいのであって、問題は「男性ではないのに」押しつけられることではない。
皆さんもこのへん読んでツッコミ入れてください。私だけじゃツッコミきれません。
第2章 性別移行
精神的な性別移行のプロセスが困難な例があげられていますが、変な例ばかりです。いや、例が変というより結論が変というか?あなたはこの例の異常さが分かりますか?(※雨穴さんの『変な家』、終わった人さんの『察しの悪い雨穴』のパロディとともにお送りします)
例1
例えば、自分がトランス男性なのか、女性らしさを拒んでいる女性なのかを、自信を持って判断できないケースを見てみましょう。スカートが嫌だという感覚は明確にあったとして、それが「女性らしさ」に対する違和感や拒否感に由来するのか、それとも男性であるはずの自分を否定される経験であるがゆえに拒否感があるのか。(略)その人が実際には「(トランスジェンダーの)男性」にもかかわらず、「自分は女性らしさに抵抗がある(シスジェンダーの)女性」に違いない、と割り当てられた性別に基づいてあくまでも自分を強引に説得し続ける場合、その人がトランスジェンダーだという気づきを得るのは遅くなります。
p43
この文…なんか…変…?ハアァァァァ!逆っ!逆っ!これはトランス男性なんじゃなくて女性らしさに抵抗がある女性だね!「女性らしさに抵抗があるから私は男」って思っちゃったんだね!こんなの女性らしさに抵抗する女性はみんなトランス男性になっちゃうね!
というかトランス男性と名乗る女性たちが、自分は男性だと判断した根拠は一体何でしょうか。「女性らしさに抵抗があるから」以外にないんじゃないでしょうか。ここを聞かれると困るからノーディベートで逃げるんだと思います。これ答えられている人見たことありません。
例2 例えば自分をレズビアンだと理解する女性は、自分が「トランス男性であり、男性として女性を好きになる異性愛者だ」という理解は遠ざかります(p44要約)。
これは私もさすがに違和感を覚えました。いやあこれ、かなり不可解ですよ。ここからは私の推理になってしまうのですが、これはくそでかい女性同性愛の否定ではないでしょうか?こうしてトランス男性ということにしてしまって、レズビアンのアイデンティティをも奪いたいようです。
例3 ジェンダーアイデンティティと性的指向は別という話で、「例えばトランス男性で、性的対象が男性である場合、自分は異性愛者の女性と誤解するが、『本当はトランス男性で、男性として男性が好きなゲイなのだ』という自己理解に至ってようやく、自分の正しいアイデンティティに気づくことができます。(p46)」
ナニコレェェェェェ!ヘテロセクシュアルなのに同性愛ということになってるぅぅぅぅ!性別なぁぁぁい!性別を遵守しようとする気がなぁぁぁい!大人しくヘテロセクシュアルはヘテロセクシュアルと認め、レズビアンもレズビアンと認めたらどうなんですかね。……進次郎構文使いたくて使ってるわけじゃなくて、変に言いかえられているものを正しく言い直すとこうなってしまうんですよ🤷♀️
第3章 差別
トランスジェンダーだからなのか?トランスジェンダー関係あるか?トランスジェンダーだけの問題じゃなくね?というのばかり。トランスジェンダー差別について一章書かれていますが理解できた気がしません。
ちょっと意味が分からないから一緒に考えてほしいところがあります。家庭での差別について書いていると思われるところです。「子どもはセックスとジェンダーが混同する」ってことだと思うんですが。
性別について前記の二つの課題のうち、保護者(親)から課せられている圧力は、二つ目の「女の子は女の子らしく/男の子は男の子らしくしなさい(前記1章p35引用)」というかたちをとっているように見える。しかしトランスの子どもたちからすると、そうした圧力は「あなた、まさか男の子/女の子になりたいわけじゃないよね?」という一つ目の課題についての尋問のように響くこともある。(p79要約)
???女の子でいうと「女の子は女の子らしくしなさい」と「あなた、まさか男の子になりたいわけじゃないよね?」の混同、ということでいいんでしょうか??私なりに間を補完すると
①女の子なら女の子らしいものである(偽)(ただの偏見のため偽)
②女の子らしくないなら女の子ではない(偽)(①の対偶)
③女の子ではないなら男の子である(真)(性別は二つのため消去法的に。人間の子どもであることが前提)
④女の子らしくないなら男の子である(偽)(①の対偶である②に女の子ではない=男の子であるを代入したもの)
①②③から一応④が導ける。(※数学的には正確な表現じゃないと思います。得意な人ツッコミお願いします。)子どもはこの①②を(真)だと思い込んでしまい、導かれる④も(真)だと思い込んでしまうってことなんでしょう。いや、大人でも①②④を(真)だと思い込んでしまうことで“トランスジェンダー”は成り立っているんですがね。
「①②④を(真)だと思い込んでしまうこと」、これがセックスとジェンダーの混同だと呼べると思います。そしてこの混同を解消するには、①は(偽)であること、つまり女の子であっても必ずしも女の子らしくないこと、②も(偽)であること、つまり女の子らしくなくても女の子であること、そして④も(偽)であること、つまり女の子らしくなくても男の子ではないこと、これを理解する必要があると思います。
ちなみに①の逆の「女の子らしいなら女の子である」も(真)だと思い込んでいる人もいますね。女性の服や化粧を身につけただけで「私は女だ!」と主張する男性たち。また③を(偽)だと主張している人もいますね。性別はほかにもある!ノンバイナリー()もある!とか言って🤷♀️
私も子どもの頃、女じゃなければ女らしさの押しつけから逃げられると思ってました。性別違和があり、手術できるのなら手術していたと思います。でも今ならそれが勘違いだったと分かる。かつての私にしてほしかったことを考えると、“らしさ”を押しつけないとともに、“らしさ”と性別は別であり、“らしさ”が悪いのだと教え、上記のような勘違いを正すのが大人の役割なんじゃないでしょうか。
第4章 医療と健康
この章は「聞かれているのは身体性別ですよ」としか言いようがない。
一つ気になったのは、男性同士の性的接触があった人の献血の拒否はゲイ・バイ男性への差別なのか、かなあ。(p147要約)
第5章 法律
外見や声が変わると「身分証が身分証として機能しない(p156)」?それこそ身分証の出番でしょう。どんなに周囲が勘違いしてしまっても、勘違いであると証明してくれるものです。本人の身分証を提示して本人だと分からないのは、確認する側の精度の問題もありますね。
公衆浴場の話で、どなたかも指摘していましたが「陰茎の切断を経験していないトランスの女性たち(p166)」というパワーワードが出てきます。ヤバいですね…!公衆浴場を使わないって書いてますが、スザンヌみさきや他のトランス女性()も女湯入ったと堂々と公表していますし、とっくに論破されてますよ。
法律に誰が本当のトランスジェンダー(性同一性障害)なのかを決定するゲートキーパーの役割を任せるのは、トランスたちを分断し、互いの尊厳を傷つけるスタンス(p173)みたいなこと書いてるけど、ゲートキーパーがいなくなったら偽物が入り込むんじゃないか?誰が偽物を防いでくれるんだ?というかなにをもって本物なのか?偏見をアイデンティティにしている人が全員本物なのか?それは偏見によって作られた虚構なんじゃないのか?やっぱり「本物」っていないんじゃないのか?
第6章 フェミニズムと男性学
トランスジェンダーが求めてきたものはフェミニズムが歴史的に求め、また部分的に獲得してきた権利や正義と幅広く重なって(p184)いる、という主張の具体例が微妙です。家庭内暴力を振るわれないこと、女らしさ男らしさを押しつけられないこと、などはまだ分かりますが、
・戸籍の性別に人生を縛られないこと
・自分が生きていける物語を手に入れること
これは…権利や正義か…?ほかにも
・路上で暴力を振るわれないこと
・安全な環境での労働
・教育の機会の平等
ってそれはフェミニズムじゃなくて人権運動とか労働運動ですね…(ヒューマニズムと言っていいのか分からなかった)。確かにフェミニズムが求めてきたことも列挙されてましたけど、トランスジェンダー自認男性がやるなら男性学と言いなさい。フェミニズムではありません。
おわりに
なんかこんなにいろいろ突っかかってると私がヤバい人に見えるかもしれませんが、ヤバいのはおかしい概念を平気で多用しているジェンダーイデオロギー側です。もう一から十までおかしくてツッコミにキリがありません。
皆さんもおかしいとこ探しながら読んでくださいね~ レッツ「どこが変なのかなあ☆」(突然の察しの悪い雨穴)
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