トランスジェンダーについて勝手にあれこれ言っていくシリーズ。異論は受け付ける。
トランス差別(?)(トランスジェンダー差別の略)なるものがあるようだけど、具体的に何を示しているのか理解できずにいました。察することはできるけど…「男を女と認めないと差別」…?え、それはおかしくない?おかしいよね!?おかしいって!なにがどうおかしいのか、説明するために記事を書いていきますよ。
Twitterで呟いたことのまとめも兼ねています。
ここでは主に身体男性について書いていきます。トランスジェンダー自認男性、女性自認男性、女装男性、性器美容整形済男性なども含めてトランス女性()と表記します。
トランスジェンダー、トランスジェンダリズムの説明は、No!セルフID 女性の人権と安全を求める会さんのトランスジェンダリズム(性自認至上主義)とはをご覧ください。
ホモフォビア(同性愛嫌悪)とは
過去の記事から引用します。
男社会に参加する条件に①童貞ではないこと②同性愛者ではないこと がある。女を一人以上支配していること(性行為経験や結婚など)で、男に対してち○こが勃つ人間ではないこと、男を襲ってち○こを突っ込み性的に支配する可能性がないことを証明する必要がある。「あなたがたを襲って一度でも 被支配者にして、支配階級から落として、男失格にしないので安心して男社会に入れてください」と。突っ込まれた男=男失格、突っ込む男=男を失格にさせる悪い奴になるので①と②を厳しく監視し、男社会からはじき出しておきたいのだ。男は、突っ込んできそうな男も、突っ込みたくなるよう性的興奮を誘う、アピールしてくる男も怖いのだ。
上記のホモフォビアの説明は上野千鶴子の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(以下『女ぎらい』)を参考にしています。大元のミシェル・フーコーは「貫く者」と「貫かれる者」でした。あやふやでした。
ホモとか童貞とか言って男が男を揶揄するのは、こういう理由なんですね。男性のホモフォビアの説明は大体できていると思います。あんまりこの、「どうしてホモフォビアがあるのか」というのを説明してる人がいないから、ただ「気持ち悪がること」で議論が止まってる気がします。
男社会はゲイやゲイっぽい男が嫌いなんです。その「ゲイっぽい」というセンサーに、トランス女性()は引っかかるんだと思います。とにかくゲイとみなされ、(実際にゲイであるかどうかは問わない)、排除される。
「ゲイで何が悪い!」「ゲイっぽくて何が悪い!」って堂々と言えればいいんだけど、まだ言えるような社会じゃないかもしれませんね。ゲイは近年受容されつつあると思っていますが、男社会のルールからすれば、本当は排除したいわけです。でも受容されつつあるのに、あからさまに嫌悪して追い出したら自分が悪者になってしまいます。そこで、ゲイやゲイっぽい男には女というアイデンティティを持ってもらうと、本人が男じゃないって言ってる!尊重しろ!と悪者にならずに”ゲイっぽい男”を男社会から排除できるんです。トランスジェンダリズムは男社会のルールに都合がいいわけです。善人のふりはさぞ楽しいんでしょうね。
…変わるべきは男なのでは??ゲイっぽくても受け入れるべきなのは男なのでは??
トランス女性()自身のホモフォビア
ゲイっぽいことを、少し前は「おかま」と言いました。男性同性愛者、あるいは「女のような男」という意味のこの言葉、男性に対する侮辱として成立するんですね。なぜ侮辱になるかというと、男社会からはじき出される男という意味を含むからだ。ここでは分かりやすいようにあえて使います。
男社会の中では、常に「あいつ、おかまかよ」(監視)や「お前はおかまだ!」(排除)をしている。そして自分にも向けて「俺はおかま!?」と監視している。監視の結果から「自分は大丈夫」「おかまっぽくならないように気を付けよう」などできる。「もうあきらめておかまになろう」(排除)という選択肢もある。この監視により、男社会は「おかま」の排除を徹底的に、しかも自己検閲までさせている。なぜこんなに徹底的かというと、男なら誰でもゲイになりたい欲望を抱えているから(※1)。でも男失格・男を失格にさせる悪いやつになって男社会から追放されたくないので、欲望(自分のも他人のも)は徹底的に抑圧したいわけです。
トランス女性()なんて名乗らず、「おかまで何が悪い!」って言えばいいんです。でもそれが死ぬほど嫌なんでしょ?女のような男であることは不名誉で恥ずかしくて辛いんでしょ?でも女だということにして回避しようとするなよ。「おかま」よりも「女」のほうが楽だからって逃げるなよ。
俺のようなこんな男もいるぞ!装飾が好きな男として堂々とする!ってやってくれるなら男らしさの破壊につながるんですけどねえ。でも男であるとは認めないんですよね。
結局、「おかま」が大嫌いなのはトランス女性()自身なんですよ。大嫌いな存在である「おかま」、つまり女のような男、男らしくない男に絶対なりたくないんですよ。
しかも、男の多様性が大嫌いなんですよ。男らしい男しか男と認めないんですよ。男らしくない男は女なんですよ、ジェンダー二元論が強力に刷り込まれた彼らの中では。男らしくない男だって男なのに。
自分を絶対にゲイだと認めない例はこちら
女性トイレですくむ足 性的マイノリティーの苦悩(産経ニュース)
西内加奈さん(仮名)は5年前、男性から女性への性転換手術を受けた。体は男性、心は女性のトランスジェンダー。高校生だったとき、好きになったのは男性だった。心と体の違和感には気付いていたが、周囲にはひた隠しにして女性と結婚。2人の息子も授かった。
しかし、自身の気持ちを押し殺した結婚生活は長くは続かなかった。30代半ばで転職先の同僚男性に抱いた恋心が、改めてトランスジェンダーであることを自覚させた。これ以上偽ることはできない。離婚し、身も心も女性として生きる道を選んだ。
産経ニュース 女性トイレですくむ足 性的マイノリティーの苦悩 より
この記事はおかしいところは山ほどあるのですが、特に上記の部分がおかしいと私は思います。
「高校生だったとき、好きになったのは男性だった。心と体の違和感には気付いていた」…って何?自分は男性で男性を好きになった→自分の心と体の性別は女性かも!ってこと?仮に、自分は女性かも!だとすると、まるで「心が女性だから男性を好きになった」と言い訳したいかのように聞こえます。同性愛への偏見がひどかった時代の「男の身体に閉じ込められた女」と同じ考えじゃないですか。男が男を好きになることは絶対ない!中身が女なんだ!じゃないですか。言葉は違えど同じことをしているんです。
「同僚男性に抱いた恋心が、改めてトランスジェンダーであることを自覚させた。」…も何?同性を好きになった→自分はトランスジェンダーだ!ってこと?ゲイじゃなくてトランスジェンダー?飛躍しすぎでは?記事はトランスジェンダーが主題だし、記事に短く収めるためかもしれないけど「ゲイ」という言葉が一切出てこないのが気になりました。女性と結婚して子どもを作っていたから厳密にはバイセクシャルですけど…ゲイ…ですよね…??
この記事の西内さん(仮名)はつまり、自分を男が好きな「男」(つまりゲイ)だと絶っっ対に認めたくないくらいホモフォビアなんじゃ?と思います。自分をゲイだと認めたくないがためにトランスジェンダーということにしたんだと思います。ゲイが大嫌いだしそんな存在に自分がなるなんて許せなかったんだと思います。
この記事の書き方自体、トランスジェンダーであれ男性が女子トイレに入って逮捕されるのは当たり前だけど?トランスジェンダーを装うって何?性転換証明書って何?男子トイレじゃダメな理由って何?…といろいろおかしいのですが、トランスジェンダリズムのおかしさを再現していると言えるでしょう。前提違くない?証明できなくない?わざと避けてる話題あるな?などおかしいところが元々あるのがトランスジェンダリズムという運動です。「何を語っているか」よりも「何を語っていないか」を見抜けないとコロッと騙されそうですね。
おわりに
トランス差別(?)をホモフォビアから分析してる先人がもしかしたらいるのかもしれませんが私もやってみました。男性から向けられている抑圧をトランスジェンダー当事者も分析してくれよ。この記事で説明したように、ホモフォビアがあると私は思うんです。
支配される恐怖、支配階級から落ちる恐怖、男失格になる恐怖、男を失格にさせる悪いやつになって男社会からはじき出される恐怖…。その恐怖と恐怖を与える存在を排除したくて仕方ない。排除のためには科学をも無視する。
男のトランス差別(ホモフォビアによる排除)こそ重大な問題なんじゃないでしょうか。男を女と認めない女性にトランス差別だという言葉が向けられているようですが、それは違うんじゃないですか。
男社会にはホモフォビアというシステムがあると知ること、そして自覚することが、男性によるトランス差別(?)解消への道なのではないでしょうか。この記事がトランスジェンダリズムの分析に役立てばと思います。
(※1 イヴ・セジウィック『男同士の絆』に書いてあり、『ゲイ・スタディーズ』キース・ヴィンセント 風間 孝 河口 和也 で強調されていると『女ぎらい』に書いてありましたが、『ゲイ・スタディーズ』のどの部分か見つけられませんでした…。とにかく『男同士の絆』は男なら誰でも同性愛者になりたい欲望を抱えていると主張しています。)
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