トランスジェンダー大丈夫そ?【弱者男性編】

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ダンス・イン・クローゼット管理人
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どなたかが言ってました。トランス女性()には弱者男性が含まれていると。私もそう思います。

ここでは徹底的に男性にフォーカスしてトランスジェンダリズムを語ります。トランスジェンダーを嫌う男の存在が透明化されてる気がするんです。買春する男は誰も責めないのに売春する女性は説教される現象、あれと似たようなことが起きてる気がするんです。踏まれる側は注目されるのに踏む側を誰も見ないという。踏む側こそ注目しなくてはならない。

女が弱者男性を語るなって?弱者男性の攻撃性を向けられる側なのでよく知ってます。被害者側の言い分と加害者側の言い分はぶつかるものでしょう。これは被害者側からの加害者分析。

ここでは主に身体男性について書いていきます。トランスジェンダー自認男性、女性自認男性、女装男性、性器美容整形済男性なども含めてトランス女性()と表記します。

トランスジェンダー、トランスジェンダリズムの説明は、No!セルフID 女性の人権と安全を求める会さんのトランスジェンダリズム(性自認至上主義)とはをご覧ください。

まず弱者男性とは?

ウィキペディアの弱者男性の項目がなかなか綺麗にまとまっていたのでこちらで。でもちょっと「独身・貧困・障害など弱者になる要素を備えた男性のことである」は合ってるっちゃ合ってるけど、女性と交際できない、そしてそれを過剰に気にしている男性のことでもいいと思う。過剰というニュアンスを込めて以下弱者男性()と表記します。

経済力やコミュニケーション能力の不足など挙げられていますが、最大の共通点はモテない(女性に好かれない)でしょうか。彼らがなんでモテにそんなにこだわるかっていうと、男社会(ホモソーシャル)の最低条件だからです。他のすべての要因において欠格であっても、最後の要因、女がひとり自分に所属していることだけで、男が男であるためのミニマムの条件は満たされるからですね。(『女ぎらい ニッポンのミソジニー』上野千鶴子p63より 以下『女ぎらい』と略す)逆に言うと、高学歴や高収入でも、女がいなければ一気に男の値打ちは下がる。らしい。彼らにとっては。

「男から選ばれないおまえは無だ」と宣告されてきた女の立場からすれば、「女から選ばれないおまえは無だ」とみずからに宣告する男たちの登場は、ジェンダー関係の非対称性が是正された効果と解するべきだろうか。(『女ぎらい』p62より)つまり男が女に向ける言葉を、「お前はどうなんだ」と跳ね返すことに成功したのでは、といったところでしょうか。もしそうだとしたら弱者男性()の存在は先人フェミニストの戦利品の一部ですね。…いや現実には女性叩きの口実にされたりするのでそんな輝かしい存在じゃないですけど。

男たちが押し付けてきた価値観に、今度は男たちが苦しめられるという。女性がどれだけ自分を抑圧して結婚相手を探してきたかという歴史から見ると、その程度でたじろぐなんて、まだ弱者であることに慣れていないだけだろう、とも『女ぎらい』にはあります。女性はその歴史が分かっているから弱者男性を嘲笑するんだと思います。モテる努力をしないなら、苦しみから逃げるにはもう、モテなんて基準は女男とも不要だ、と執着を捨てるしかないんじゃないでしょうか。

女一人は支配できない…せや!

男社会に認められるために、ど~~しても女をひとり支配したい。(書いてて何だがくだらねえな)でも支配できない!どうするか?一番身近で弱い他人、「自分の体」を女性化して支配する説~。

誰かが言ってました、男性は身近で自分より弱い者を攻撃(他傷)するが、女性は身近で自分より弱い他者がいないので、身近で一番弱い者、つまり自分を傷つける(自傷)と。似たような考え方で、他人を支配する力がないならと、自分の体を支配するのではないかと思います。抵抗しないし文句も言ってこない「女の記号(を纏った生身の身体)」が手に入るんです。抵抗しないし文句も言わないけど「女の記号」手に入れるには骨格や肌質などが妨害してきて全て思い通りになるかは分かりませんが…。

女の人間じゃなくていいのか?と思うかもしれませんが、彼らは女という「記号」に反応しているだけなので問題ないわけです。女と見れば誰にでも加害するように、女が相手であれば風俗で性的に興奮できるように、パブロフの犬のように、またはボタン押したら鳴るだけの、意思もないブザーのように…。「女の記号」に興奮しているに過ぎないんです。「女の記号」で十分なわけです。(まあそれで本当に問題ないと考えているのかは私には分かりませんが。やっぱり女の人間が欲しいのかトランスレズビアン()とかいますし。)

昔テレビで「おっぱいが大好きだから自分につけた」と言った女装かつ美容整形手術(豊胸)済男性を見ました。それでいいんだ!?おっぱい(もどき)が手に入れば自分の体でもいいんだ!?いや手に入れるにはもうそれしかなかったのか!?欲しい対象を、自分の体に偽物をくっつけることで“手に入れる”ことができるようです…手に入った、のか…?もしかしたらあくまで代用で、本物へのアクセスが可能であればどうなったのか分かりませんが。人間の女が手に入らないなら自分の体で代用する、の示唆的な人物だと思ったので例に挙げました。

他人からはどんな評価されるかは別として、“男が男であるためのミニマムの条件”(≒女の支配)を満たした気分になれるのでしょう。気分だけ。

支配・略奪ゲーム

人間の身体より抵抗してこない「女の記号」があります。女性用スペースです。支配というより侵入による略奪と言ったほうが的確かもしれません。逮捕されるリスクを無視あるいは軽視すれば女装するより簡単にできるんじゃないでしょうか。実際侵入した写真をネットに上げるほどリスクを軽視する男がいるようですし。(軽視していないからこそスリルを味わえるのかもしれませんが、捕まる確信があればさすがにやらないのでは?スリルに関する心理はよく分かりません)

そもそもおかしいのは勝手に「女の記号」とみなして勝手に略奪対象としていることです。女が連想できればなんでも「女の記号」。男の排泄音には興奮しないくせに女の排泄音には興奮するように。(自分の排泄音飽きるまで聞いてろ!)そして略奪する価値があると思い込んでしまう男たち。略奪して何になる!?としか思えませんが、「女から」「奪う」ことが重要なんです。「女性用スペースを使う」は手段であって目的ではない。女性用スペース使用の権利が欲しいんじゃない、「女から奪うという経験」が欲しいんです。支配欲(略奪欲)なんです。だから多目的トイレ増やそうという声に怒るのでしょう。それじゃ奪ったことにならないから。

女装は「支配した気分」、侵入は「略奪する経験」が手に入るんじゃないでしょうか。そして男社会で認められる可能性(気分?)を作ると。…はあ?巻き込むなよ!男社会のルールから降りろ!支配・略奪ゲームの中で生きるな!勝っても何もないぞ!(女装も記号の略奪(の経験?実績?)と考えることもできますが、女性への影響が比較的小さい気がして略奪は言い過ぎかと避けました)

女性用スペースといえば、女子トイレと女湯の話題にゲイも口出してきますね。全く関係ないのに。女を支配していない分、女性用スペースをトランス女性()に差し出す(略奪)ことで男社会に入ろうとしていると指摘していた方がいました。私もそう思います。建前ではトランス女性()は女性ですと言っても、本音は女性だなんて一ミリも思ってないでしょう。

追い出したがる男たち

トランス女性()の存在は、トランスしない弱者男性にとっては特に嬉しいだろう。自分より男らしくない男として踏める対象だから。弱者男性が男の底辺だと思っていたところに、もっと“男らしくない男”が現れて安心できる。ホモソーシャル(男社会)は男になりそこねた男(≒男らしくない男)を排除するが、ホモソーシャルから追い出される側から追い出す側になれる。善人のフリをしながら。

弱者男性のプライドを支えているのは男であるというアイデンティティ「だけ」だ。“男らしく”なろうとしない女装男性などには男というアイデンティティを持ってほしくない。男というアイデンティティ(≒男らしくあろうとする)という最終関門を壊されるんだから。だから女ということにして追い出したい。追い出す手間もなく、トランス女性()が自分から女だと主張して、自発的に出て行ってくれて、手を汚さずに済んで、なんなら善人になれて、大満足でしょうね。

逆に言えば、トランス女性()の存在は、弱者男性に「自分は男である」と再確認させる装置になります。トランス女性()は女である、自分はトランス女性()ではない、よって自分は男である、と。トランス女性()を男から追い出したかったんじゃなくて、「男ではないこと(つまり女)」を作り出すことによって「男であること」を保ちたかったのではないでしょうか。(ジェンダー男女二元論的ですね。男じゃないなら女だ!って。ジェンダー男女二元論を批判するトランスアライいますが、やってるのトランスアライ本人なんですけどねえ)

そう思うと弱者男性は「トランス女性は女性です!」と言い、強者男性がそれをおかしいと指摘するのも必然なんじゃないでしょうか。強者男性の男というアイデンティティは簡単には壊れない。金や女の支配によって男のプライドは守られているから。もしくは男というアイデンティティに縋らなくていいくらいアイデンティティが確立しているから。いや何も持っていなくても男というプライドだけはしっかりしているのかもしれないけど。

おわりに

改めて書きますが、ホモソーシャル(男社会)は男になりそこねた男を排除する。排除する基準(境界)の管理もする。トランスジェンダリズムは男になりそこねた男同士の境界決定の策略なんじゃないでしょうか。ここまでは男、ここからは男じゃない、と男の境界線の管理をする権力の行使なんだと思います。境界線の内側の男と外側の男が協力して「ここが男の境界線だ!」って勝手に新たに線を作っている。(『TERFと呼ばれる私たち』や千田有紀さんの「女」の境界を引きなおす――「ターフ」をめぐる対立を越えて と似たようなこと言ってるかもしれません)

強者男性から排除される弱者男性、弱者男性が男から排除するトランス女性()、そしてトランス女性()は女性の定義(境界)を壊す。抑圧構造が強者男性→弱者男性→トランス女性()→女性になっているのではないでしょうか。誰かを排除することによって、男であることを確認したい男たちの争い。(あ、ゲイのカツドーカもトランス女性()を男から排除してますね。弱者男性とトランス女性()の間で抑圧されてるんでしょうか)

境界線の管理とたえまない排除を必要とすることは、男であることがどれほど脆弱な基盤の上に成り立っているかを逆に証明するだろう。(『女ぎらい』p29)だから男のプライドは弱いんですねえ。自分より弱い者を排除しないと維持できないなんて。その弱っちいプライドの維持のためにどれだけ犠牲にしているか分かっているんでしょうか。

女性排除にはミソジニーという名前が付いている。同性愛者排除にはホモフォビアという名前がついている。「男になりそこねた男排除」はホモフォビアと地続きではあるけど…強いて言えばウィークネス(弱さ)フォビアか?今のところ「男らしくない男フォビア」としましょう。この「男らしくない男フォビア」に的確な名前が欲しいんです。広義のホモフォビア(同性愛嫌悪)と言えばそうなんだけど…ちょっと違う気がして。

とにかく、男は「男らしくない男フォビア」を克服するべきですよ。男性同士で苦しめ合ってんですから。

ダンス・イン・クローゼット管理人
ダンス・イン・クローゼット管理人

男も男社会の被害者なのかもしれませんが、女性への加害者であることには変わりません。男性もつらい思いをしているからって、女性への差別とは相殺されないのです。(私たちにはことばが必要だp158)

「トランスフォビア」は散々、散っ々女性に向けられてきた罵倒です。でもトランス女性()を男から追い出しているのは男なんです。トランス差別しているのは男なんです。

なんで男はトランス女性()を男から排除するんですか!?トランス女性()はどうして自分を男から排除しちゃうんですか!?それこそトランスフォビアと呼ぶんじゃないですか!!??男のトランスフォビアは責めないんですか!!??責めるべきは男性ですよね!??自省すべきは男性ですよね!??

女性を責める前に自省してください。いや、しろ。

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