読書記録『私はASD女子―自閉スペクトラム症のみんなが輝くために』『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで』

反TGism
ダンス・イン・クローゼット管理人
ダンス・イン・クローゼット管理人

トランスジェンダーのことが書いてあると聞き、読みました。トランスジェンダーとASDの関係が指摘されているのは知ってましたが、ASD当事者目線で書いてくださるのはありがたい。

ASD当事者の話を参考に、反トランスジェンダリズムである私が考えます。

『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで』

『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで』サラ・ヘンドリックス 堀越英美訳 河出書房新社 には第10章 男か女かどちらでもないか?――セクシュアリティと性自認という章があります。この本はASD当事者が書いています。

性自認が問題だと思っていた!?

著者が行ったアンケートに答えたASD女性の声が載っていますが…「考え方は男性寄りです」「男、女、どちらとも言えません」「女ではない、(自分を)何か異質なものであると感じます」「常に自分を男性だと感じてきました」…。うーん…。ジェンダーって抽象的で曖昧で捉えにくいかもしれないけど、頑張って理解してほしい…。とにかく身体以外に性別はありませんよ。

性自認こそが人生全般(仕事、人間関係、精神衛生、セクシュアリティ)に影響を与えている包括的な課題と考えていた彼は、ようやくASDが主な要因であると気づいたのである。彼の性同一性障害は、ASDの生活がもたらす認知的・心理的な影響によって説明できることがわかった。

『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで』p219

ある男性の例ですが、性同一性障害で性別移行しようか迷っていたら、実はASDだったそう。怖い!もしASDという原因に気付かなかったら、不必要に体切ったり不必要に性ホルモン入れていたかもしれないってこと?危ねえ!

女の子についての本じゃなかったの??

自閉症スペクトラム症の女の子についての本のはずなのに女性自認男性(いわゆるトランス女性)のことも書いてあります…。

「体のパーツが間違っていると感じました。また、私はもともと非常に女性的な性格でした。」…女性的な性格と体のパーツへの違和感は関係あると思ってるってこと?セックスとジェンダーは切り離して?

「休み時間にいつも女の子と遊ぼうとしましたが、避けられてばかりでした。理由は全然わかりませんでした。」…避けられた理由が分かるときが来るといいね…。

「(ASDかつトランスジェンダーだが)もしASDのみだった場合、私は一般に『身なりがだらしのないオタク』や『男権主義者』と呼ばれる人たちの一人になっていたのではないかと強い懸念があります。」残念ながら今でも男権主義者ですよ、女性のための本に割り込んでますから。

女性自認男性(いわゆるトランス女性)が自認する性別への手術をしたらASDの診断がつかなくなった、とも書いてありました。ええ???

著者はなんで男性の声を書いてしまったんでしょうね…?私には分かりません。

『わたしはASD女子 ―自閉スペクトラム症のみんなが輝くために』

『わたしはASD女子 ―自閉スペクトラム症のみんなが輝くために』シエナ・カステロン 浦谷計子訳 さくら舎  第11章 ジェンダーアイデンティティに対してという章があります。

性別違和は勘違い?

研究の結果、ASDの子たちは性別違和を抱えているというより、ジェンダーアイデンティティへの「特別な関心」を性別違和と混同しているのではないか、という見方が出てきました。つまり、他の人たちと違っていると感じる原因を探っているうちに、ASDの子は、あたかも性別違和に原因があるかのように勘違いする、というのです。

こうした研究には不完全なものも含まれていますから、まだ結論は出ていません。わたしは、性別違和は定型発達かASDかに関係なく、同じように起きるのではないかと思っています。両者に違いがあるとすれば、それは、定型発達の子たちが社会規範に従わなければならないという気持ちから性別違和を否定しやすいのに対して、ASDの子たちにはその種の妨げがないということではないでしょうか。

『わたしはASD女子 ―自閉スペクトラム症のみんなが輝くために』p150

「性別違和は定型発達かASDかに関係なく、同じように起きるのではないかと思っています。」というこの著者に賛同します。私はASDと診断されていないですが、性別への違和感がありました。

性別が揺らいだ(と思い込んだ)けどトランスしなかった私は、「“女らしく”ないから私は男、女らしくなろうとしなくていい」と「“女らしく”なりたい」という葛藤に苦しみ、結局は過剰に“女らしく”なろうとしました。“女らしさ”がただの偏見でセックス(身体性別)とは別だと知ってからは「私は男かも」なんて思うこともなくなり、葛藤もなくなり、精神的に楽になりました。

「他の人たちと違っている」はあったようななかったような。自分なんて特別じゃないと分かりつつ、自分を特別だと思い込むようにした、みたいなところはありましたけどね。そんな思い込みの激しい、痛々しい時期を私は乗り越えてきました。そんな私が改めて言います。男らしくない男がいていい!女らしくない女がいていい!セックスとジェンダーは別!

トイレ使用について

男女どちらのトイレを使うかは、トランスジェンダーの人たちがかならず直面する問題です。トランスジェンダーの若者が自分のジェンダーアイデンティティどおりのトイレを使うのは当然の権利です。つまり、トランスジェンダー女子なら、女子用トイレを使ってしかるべきだということです。

『わたしはASD女子 ―自閉スペクトラム症のみんなが輝くために』p155

え、他の人の感情は?安全は?権利は??異性のトイレ使う権利なんて誰も持ってませんよ大丈夫ですか??これはもう防犯として理解してください。女性が身体男性を女性用スペースに入れないのは防犯のためです。ヘイトじゃない、防犯です。

男女どちらのトイレを使うかは、トランスジェンダーの人たちが直面しなくていい問題です。トランスジェンダーは若者に限らず自分のジェンダーアイデンティティどおりのトイレを使う権利はありません。トランスジェンダー女子と自認しようと、身体男性は男性用トイレを使ってしかるべきだということです。

なんで男に女性用トイレ使わせて大丈夫だと思ってしまうんでしょうね…?私には分からない感覚です。

おわりに

ダンス・イン・クローゼット管理人
ダンス・イン・クローゼット管理人

トランスジェンダーとASDの関係についての、当事者の考え少しだけ知れた気がします。ただおかしいことはおかしいと言わせてください。男は女ではありません!!

ASDの女性を守るためにも女性用スペースは身体女性だけが使用可能にしましょう。特性がその…被害に遭ってしまいそうな傾向と言いますか…狙われてしまいそうと言いますか…とにかく危ないと感じます。女性の障がい者も女児も守りたいから声を大にして言います。女性用スペースは女性だけのもの!

コメント

タイトルとURLをコピーしました