トランスジェンダー大丈夫そ?【差別論編】

反TGism
ダンス・イン・クローゼット管理人
ダンス・イン・クローゼット管理人

トランスカルトの言動を佐藤裕著『差別論 偏見理論批判』に当てはめてみました。

以下『差別論』と表記します。


ここではトランスジェンダー自認男性、女性自認男性、女装男性、性器美容整形済男性なども含めてトランス女性()と表記します。

トランスジェンダー、トランスジェンダリズムの説明は、No!セルフID 女性の人権と安全を求める会さんのトランスジェンダリズム(性自認至上主義)とはをご覧ください。

この記事は反トランスジェンダリズムとして発信しています。トランスジェンダリズム支持者の言う「トランスジェンダー差別(以下トランス差別)だ」は実際にはトランスジェンダー差別の指摘ではなく、女性の懸念をかき消す女性差別であるという立場で発信しています。

TERF(Trans Exclusionary Radical Feminist、トランス排除的なラディカルフェミニスト(以下ターフ()))という中傷語があります。トランスジェンダリズムに反する者、トランス差別者という意味を含み、主に女性に向けられます。女性たちをターフ()と呼び、人間じゃないかのようにみなし攻撃をほのめかす発言をすることで行われる女性差別について考えます。これはターフ()と呼ばれる側からの告発。

不当性を証明してくれ

「差別」はまず何より告発の言葉ですから、差別を問題にする限り差別の「不当性」という論点に触れざるをえません。いかなる差別問題に関する言説も「不当性」という論点から自由であることはできないのです。「ここに差別がある」あるいは「これが差別の事例である」と取り上げる、それだけですでに「告発」という意味を持ってしまうのです。

『差別論』p16

差別というなら「不当性」の議論からは逃れられない。”トランス差別”に「不当性」はあるのか無いのかで揉めていますが、果たしてあるのでしょうか。不当だというなら不当性を説明する義務がトランスジェンダリズム支持側にあると思います。そうじゃないと議論もできない。まあ不当性が無いから言えないのでしょう。

でも不当性を説明していないのに「トランス差別だ!」の声を支持する人がいますね。差別する側とされる側で認識のズレがある場合、される側の認識が優先される場合があるそうです。女性はそれでも告発を聞いてもらえなくて戦って勝ち取ってきたと思います。なのに、トランスジェンダリズムは女性の告発をさらに告発で覆い隠し、女性の口を塞ぐことになっていると思います。

差別される側の声を聞けるような社会になったのをいいことに、逆手にとって女性の告発を無効化する。「何がセクハラになるか分からない」がダメだと広まったのをいいことに、「何がトランス差別になるか分からない」と言わせたら勝ちみたいになっている。女性差別は柔軟に時代に合わせて形を変えるといいますが、まさに進化した女性差別と言えましょう。

あいまいなのはわざと

なんで対象(トランスジェンダーの範囲は?)や定義(トランス差別って何?)をぼかして言うかって、「言わなくてもピンとくるのが仲間」だからですね。トランス差別の定義をはぐらかすのは戦略なんですよ、言わなくても通じる本当の仲間を募る為なんですから。

いかにあいまいであっても、発言をする(あるいは言葉以外のメッセージを送る)人は、それで意図が伝わると思っているからあいまいな表現をあえて選んでいるのです。また、発言を受け取る人も、あいまいな表現から意図を的確に読み取ることができると期待されているし、実際に受け取ることができるからこそ排除が現実のものとなるのです。

『差別論』p58

分かりにくいのに、分かると嬉しい。ピンときて分かった気になった人は暴走する。カルト教祖が言ったよく分からないことを、インテリや個々人が勝手に解釈してしまう。「何をしていい相手か」という意味も含めて理解してしまう。いや勘ぐってしまう。マインドコントロールだと思いますね。分かりませんと言っちゃう人のほうが安全です。

あいまいに発言することによって、発言者(カルト教祖など)は責められた場合には「そんな意図はなかった、自分には関係ない」としらばっくれることができる。誤解を与えてしまった、とか。暗号のようなあいまいさは責められたときにも便利。トランスジェンダリズム支持者も日和見で意見を変えるのはこの理由かもしれません。

排除よりお仲間

差別は、「われわれ」と「われわれではないもの」を分けるという行為が起きる。(※『差別論』でも平仮名で書かれています)そして「われわれではないもの」を排除する行為というより、排除を通して「われわれ」を形成する行為だと強調しています。「われわれではないもの」を排除したいというより、「われわれ」という仲間に加わりたい・第三者も「われわれ」に加えたいんです。

トランスジェンダリズム支持者が思う「われわれ」って誰でしょう。ここではターフ()を排除することによって得られる「ターフ()ではないわれわれ(仮)」としましょう。そこにどんなプラスの価値を見出しているのでしょうか。

発言から推測するに、プラスの価値は(女性差別以外の)差別しない俺達!正義のワタクシ達!先進的でイケてるアライ!みたいな感じでしょうか。正義だと思っているんだろうなという感じはします。いや、ターフ()にマイナスの価値をつけて、相対的に「ターフ()ではないわれわれ(仮)」がプラスの価値を得られるようにしているのかもしれませんが。

「われわれ」は客観的には分からないというか、「われわれ」と言った本人にしか分からないんです。TRAの誰か明確に語ってくれませんか。どんな「われわれ」に加わりたくて活動しているのか。ただこの「われわれ」はどうしても漠然としたものとなり、分かりにくいものなのだそう。それでも言語化しようとしてくれませんか。

「われわれ」は「ホモソーシャル」である可能性もある。トランスジェンダリズムを支持するということは、トランス女性()を男から排除することを意味する。「トランス女性()はホモソーシャルから排除しよう、ホモソーシャルの中にいるのは“男”の俺たちだけ!」と。弱者男性なら「トランス女性()は男じゃないですよ、俺はトランス女性()という存在とは別ですよ、よって俺は男ですよ。だからホモソーシャルの中に入れてください。」などか。つまり「俺たち男だよな!」「俺も男ですよね」を確認したいがためにやっているのだと考えられます。

「私はあなたがたと同じ『われわれ』です」(多数の中に自分も入るパターン)はあると思う。女性でも「私はホモソーシャルの一員ですよ」と主張することはできる。田房永子さんの本で、自身をたてがみをくっつけてライオンのフリをするヤギに例えていました。ライオン(男性)と一緒に女叩きをすれば自分だけはターゲットにならない気がした、みたいなこと書いてました。自分は獲物だ、被害を受ける性別だという現実と向き合えないと女性もトランスジェンダリズムに参加してしまうんじゃないでしょうか。特にエリートの女性などは。「われわれ」を形成したい動機をもっと知りたいところです。

トランスジェンダリズム支持者の意見の押し付けは「お前もわれわれの仲間だろ!!??」なんじゃないでしょうか。「われわれ」を形成するために、強引な同意を求める。「そうだよな?お前も仲間だろ??仲間にならないなんてお前はひどいやつだ!」と同意が得られないなら相手を責める。同意が得られないと「われわれ」は形成できませんからね。

差別の無効化

「お前もわれわれの仲間だよな?」と同意を求められたとき、同意せず「われわれ」になるのを拒否すれば差別は無効化できるそうです。ポイントは

  • (「われわれ」になれという)メッセージの内容を見るのではなく、メッセージを送る行為を見る
  • 他者を見るのではなく、他者化する行為を見る
  • 「壁」を見るのではなく、「壁」を作り出す行為を見る
  • 省略された(曖昧な)メッセージを補うのではく、省略(曖昧に)されていることを見る


(『差別論』p178より ()内は筆者)そして言葉にするのだと。反トランスジェンダリズムで例を挙げると

  • ターフ()を一緒に排除しようというメッセージを送る行為を見る ターフ()は悪いよねというメッセージ内容でなく、ターフ()を悪だとみなすメッセージを発信する行為を見る。共感してくれる仲間を探していることを読み取る。差別に加担するなと脅し(総括)をしていることも読み取る。 

  • ターフ()を他者化する行為を見る 自分とは違う存在とみなす(他者化)、人間とみなさない(非人間化)、そして攻撃してもいい存在だとみなす行為を見る。悪魔化…とまで言っていいのかは分かりませんが、差別者と呼んで負の価値をつけるという行為も含まれると思います。

  • ターフ()との壁を見るのではなくターフとの壁を持ち込む行為を見る 「ターフ()ではないわれわれ(仮)」を絶対的な善とみなし、ターフ()をあいまいな基準で(でもやたら厳しい条件で?)悪とみなす行為を見る。「壁」はあいまいではっきりすることはなさそうだから深追いしなくてもいいかも?「壁がある」という前提を持ち込んでいることが問題だ。 

  • トランスジェンダリズム用語はわざと曖昧になっていることを見る 「トランス差別の定義は?」より“トランス差別”などの定義をわざと曖昧にしている、解釈の余地があり勝手に解釈して暴走している、後から言い逃れできるようになっている、ことなどを見る。

でしょうか?あんまり自信ないですが…。「われわれ」にならないためのポイントであって排除されないためではないので、排除される側が指摘してどのくらい意味があるのかは分かりません。

差別の無効化には差別するための知識が必要なのだそう。文脈を的確に指摘しないといけない。ワクチンを開発するには病原菌が必要なように。一応よく観察しているつもりですが、できれば元トランスジェンダリズム支持者は協力してください。

おわりに

ダンス・イン・クローゼット管理人
ダンス・イン・クローゼット管理人

結局、差別をしているのは誰でしょうか。「われわれ」以外は攻撃してもいいと、「われわれ」同士なら尊重するルールを、「われわれではないもの」には適用外にしているのは誰でしょうか。

女を女という理由だけで叩くには罪悪感があるのでしょう。だから悪い女と呼ぶ。悪い女という意味がニュアンス的に含まれたターフ()という言葉は、罪悪感を薄れさせてくれて便利なのでしょう。パンチターフ、ファックターフ、キルターフと言ってもいい、というくらい罪悪感を捨てられる。「やってもいいこと」どころか「正しいこと」という認識にまでエスカレートし、正しいことをしている優越感も得られるのでしょう。

結局、差別って安心できるんです。所属する集団があるということに安心したいんですよ。その集団に正義に支えられているから自分の価値観は間違ってないと思える。

確かに「常識」は絶対でも完璧でもない。だけど「全部確かじゃないんだから、人間の性別だって確かじゃない!自分で決めれる!」わけではない。確かなものなんてこの世にないんだって思ってない?その考えを肯定してくれるから飛びついたとか言わない?もしくは盲信できる何かが欲しかったとか言わない?()

仮に盲信で一次的に安心しても、不安は心の奥から人を攻撃する。それは生きづらくないか?見えない敵に殴られ続けるようなものじゃないか?向き合ったほうがよくないか?ターフ()を生贄にしてもトランスジェンダーの生きづらさは変わらないと思う。

参考図書:『なぜ、人は操られ支配されるのか』西田公昭 さくら舎

コメント

タイトルとURLをコピーしました