トランスジェンダー大丈夫そ?【アイデンティティをジェンダーに頼るな編】

反TGism
ダンス・イン・クローゼット管理人
ダンス・イン・クローゼット管理人

語彙の貧困はアイデンティティの貧困だ。自分の外側のことを言葉で表現する力がなければ、自分の内側のことも言葉にできない。みたいなことを誰かが書いてました。私はこの考え方に賛成しています。(誰が書いてたのか分かる人いたらお願いします)

トランスジェンダー()の方がもうちょっと詳しく自身の内側を言語化してくれないかなあと思いながらこの記事を書いています。ヒント提案頑張るから言語化頑張ってほしいというのが私の思いです。

反トランスジェンダリズムの仲間たちには、トランスジェンダリズムへの反論の参考になれたら幸いです。

トランスジェンダー、トランスジェンダリズムの説明は、No!セルフID 女性の人権と安全を求める会さんのトランスジェンダリズム(性自認至上主義)とはをご覧ください。

ん!?な動画

知って欲しい 男でも女でもない どちらかになることはできないし 決めることも決めつけられたくもない 男女と違う性のあり方は 確実に存在している

れいれい@rayhung0412さん2021年11月16日ツイート添付動画より

できれば引用リツイートも読んでほしい。「A B O AB以外の血液型の存在はないでしょ」「それはあなたの個性」「性別は二種類しかない」などツッコまれています。

私が批判したいポイントを3つまとめました。

「男でも女でもない 決めることも決めつけられたくもない」と言っていますが、身体性別は生まれたときに決まっています。自分では決められません。他人も決められません。運です。男女以外の性別はありません。どちらでもない自分は特別!って言いたいのかもしれませんが…人間であるかぎりどちらかではあるので…嘘はアイデンティティにしないほうがいいんじゃないですかね。証明できないから簡単に崩れちゃいますよ。

性ってジェンダー(性役割)(女らしさ・男らしさ)のこと言ってる?というかセックス(身体性別)は決められないからジェンダーですよね?混同する人多いから明確に言ってほしい。ここではジェンダーだったと仮定しましょう。当てはめてみるとこういうメッセージになります。「知ってほしい 男らしさ 女らしさでもない どちらかになることはできないし 決めることも決めつけられたくもない」。

…ジェンダーで決めることも決めつけられたくないのも大体の人がそうなんじゃないでしょうか…。この日本社会では“普通”だと思っている人もジェンダーで決めつけられて何かしら苦しんでいると思う。面と向かって誰かに言わないだけで。自覚がなくても、苦しみの元を辿ったらジェンダーが問題だった、ってこともあると思います。

あと「男女と違う性(ジェンダー)のあり方」、でいいんですか?それはもうジェンダー(女らしさ・男らしさ)に依存してる気がします。正しくは「男女どちらでもない」に依存してる気がします。女らしさ/男らしさが崩れたら維持できないのでは?不安定なのでは?やめとけば?

一番言いたいから次の章で詳しく書くのですが、アイデンティティのジェンダー頼りを感じます。アイデンティティにわざわざジェンダーを選ぶという。アイデンティティにできるものはジェンダーだけじゃなかったはず。でもよりによってジェンダー。トランスジェンダーやノンバイナリーとわざわざ名乗る人たちについて考えます。

ジェンダーにすがるのは楽?!

③のアイデンティティをジェンダーにわざわざ頼る人たちについて詳しく考えます。わざわざっていうか、簡単だから頼ったんじゃないでしょうか。

誰かが作った「女/男らしさ」に反発するのは比較的簡単だと私は思います。何の才能も持ってなくても校則が決めた“学生らしさ”を破って自慢できるように。何の才能も持ってなくても、「女/男らしさ」は破れる。校則と違って性別は学生じゃなくても誰でも持っているから、老若男女誰でも破れる。そして「らしくない」ということをアイデンティティにすることができる。逆張りというやつですね。

アイデンティティが「私は私」と確立されていたら、多分性別によるアイデンティティっていらないんですよね。「男でも女でもないワタシ」「男女と違う性のワタシ」なんてわざわざ言う必要がない。でもまあ、言いたかったんですね。いや、誰しもそういう時期はあるかもだけど…思春期の自分を見ているようで共感性羞恥が…

私も思春期の頃に、自分は男なんじゃないかと性別が揺れた(と勘違いした)時期がありました。でもそれって結局、“女らしく”ないから女じゃない、と判断してしまっていたんです。女らしくないから私は男、ほかの女とは違う、特別な私、みたいな…痛々しい思い出です。今ならおかしいと分かります。あのころは無知でした。“女らしく”ない女だって女だ、自分だって女のうちの一人だ、性別ごときで特別になれない、と今なら言えます。

あの動画のメッセージが「女らしくない女がいていい!」「男らしくない男で何が悪い!」みたいなのならジェンダー解体、つまり“らしさ”の解体になると思うんですが、そうではなかったと思います。あの動画は「男女と違う性のあり方」と表現していて、つまり男女という性のあり方は解体せずに新しいジャンルがあるのだと主張しています。女男の間の壁を壊さずに別の場所に新しい壁を建設してる感じ。その建設の労力、解体する労力に使ってくれよと悔しくなりますね。壊すより新しく作るほうが楽なんでしょうか。「どこをどうやって壊すのか」と検討する手間が省けますからね。ノンバイナリーとかXジェンダーとか名乗る人たちがこの新しい壁建設に該当します。(トランスジェンダーは女男の間の壁を補強してる感じ。)

「男女と違う性のあり方」を主張するのと「”らしさ”の解体」を主張するのは違う。「私と関係ありません私は別枠です」か「私と関係あります私は壊します」かの違い。ほんと、後者ならよかったんですけどね。

ジェンダーにすがっちゃう要因

ジェンダーにすがっちゃう要因を考えました。異論は受け付けます。

なんでもいいからアイデンティティが欲しい

なんでもいいからアイデンティティが欲しくてもがくのは分からなくもない。私もそうだったから。なんでアイデンティティが欲しかったのかというと、「自分は何者か」とぐるぐる考えるのがとにかく苦しかったから。「自分が何者か分からない」というのは気持ち悪いものです。記憶喪失になったわけじゃないし自分を知っている人もいるし何を迷うんだ?って感じですが、もし自分の嫌いなところを忘れたらほぼ記憶喪失になるとでも言いましょうか。実際には忘れたいだけで忘れることはできないけど。忘れたい、切り捨てたい、認められないって自己嫌悪が記憶喪失に近い何かを引き起こして苦しいって感じですかね。私と同じ人いるんじゃないでしょうか。

女/男らしくない自分から逃げたい

“らしくない”という“悪い”評価が下される(と思い込んでいる)自分が受け入れられない。例えばある男性が自分を「男らしくない男」と思い込む→「男らしくない男」は「悪い」評価だと思い込む→自分を「男」と認める(男というアイデンティティを持ち続ける)と悪い評価を受け続けると思い込む→トランスジェンダーやノンバイナリーを自認する、つまり「男」というアイデンティティを捨てる→男らしくない「男」であることから逃げれた!と思い込む。こうして逃げたつもりになれるのではないでしょうか。

察するに男が男と認められるためには「男というアイデンティティを持っていること」が必須なんじゃないでしょうか。だからアイデンティティが男以外であると表明しただけで男の枠から追い出す/出て行くことが可能なのでしょう。でもそれってアイデンティティを判断基準にした男性差別では…。

私もかつて悩んでいたとき、「女らしくないから私は男」には「女らしくない女である私が嫌」も含まれていました。そもそも女/男らしくなるべき、なれないなら女/男じゃないってところから間違いですけどね。論理的に合っているかどうか検討する余裕もないし、ジェンダーとは何かなんて知識もない10代でしたから。後から間違いだと気づけましたけど、ずっと気付かずに「私は男!」て言ってた可能性もあります。

「らしさなんて存在しない。私は私」ってできたら、“女らしくない”私が嫌、なんて苦しまずに済んだかもしれません。ジェンダーアイデンティティで苦しんでいる人、「らしさなんて存在しない。私は私」って思ったら楽になれるかもしれませんよ。

自分らしさがわからない

女らしさ/男らしさに従った結果、「自分らしさ」が分からなくなる人もいる気がします。特に男性。男らしさを目指していたら自分らしさを失っていくのではないでしょうか。ホモソーシャルに求められる“男らしさ”なんて、言うなれば「自分を押し殺して強い者に従う」ですから(※個人の意見です)。(※弱い者にはやりたい放題までがセット)

男性が「これが自分らしさ」と言って“女らしい”格好するの、意味分からないですよね。それは借り物の「らしさ」なんじゃないでしょうか。自分以外の「らしさ」で自分という存在をかき消し、自分から逃げているように見えます。精神的な自サツ。それとも「らしさ」を取っ払ったら何も残らないと思っているんでしょうか。

女らしさはどうでしょうね。女らしさに従った結果自分らしさを失って悩むこと、あると思いますか?ちょっと私には分かりませんでした。

普通じゃなくなりたい

マジョリティじゃ誰も言及してくれない、だからマイノリティになりたい」男性は特にこう思ってませんか?健常者男性だったら言及されることが基本ないですからね。言うなれば“普通”。言及する必要がない。でもトランスジェンダーであることにすれば、マイノリティであるというアイデンティティ(だけ)は得られますからね。ただアイデンティティが変わっただけであってほかの属性が変わるわけではない。

「らしさ」が存在しなければ「らしく」なれない。ジェンダーがなかったらトランスジェンダー()になれない。トランスジェンダー()とみなされなければ、マイノリティ(とみなすこと)と主張できない。ジェンダーは解体一択と思っている私にはジェンダー温存したい方々は正直迷惑です。

今の属性が嫌だ

社会的劣位とされている属性から一抜けしたい、属性の傾向と言われているものが苦痛で仕方ない、というのがあると思います。差別される女という属性をやめたい、暴力的と言われる男という属性をやめたい、という風に。

女性の場合は差別される属性であることを認め、逃げずに戦うしかないんじゃないでしょうか。この属性に生まれたくて生まれたわけじゃないのは分かります。悔しいのは分かります。戦いたくないのも分かります。でも女性という属性は変えられません。

男性への批判を見ると男という属性をやめたくなる、とかあります?自分が攻撃されてるような気がして男をやめたくなる、とか。まあやめられませんけどね。自分個人は属性ごとの批判は当たらないというのなら、同じ属性の他人を的確に批判することで証明できるのではないでしょうか。

自分の属性を認めたくないかもしれませんが、まず認めてください。

おわりに

アイデンティティの悩みは確かに辛い。答えなんて出ない。受け入れられない。変わりたい。でも変えられない。自分という底無し沼の中でもがくようなもの。単純明快な「らしさ」に飛びつきたくなる気持ちも分かります。でもジェンダーに頼ってもいいことないんじゃないでしょうか。嘘だし、偏見だし、不安定だし、問題の先送りにすぎないし、何も変わらないし。トランスジェンダー()もノンバイナリー()もXジェンダー()も逃げてないで、「らしさ」や「らしくなさ」の価値観と戦うしかないんです、フェミニストと一緒に。

自分の身体を変える必要はないし嘘の性別をアイデンティティにする必要もないんです。社会を変える必要があるんです。自分の性別「らしく」なくても、それは性別がおかしいんじゃなくて個性なだけですよ。

ダンス・イン・クローゼット管理人
ダンス・イン・クローゼット管理人

あくまで私個人の考え方です。異論は受け付けます。どこがどう違うか教えてくださる方大歓迎です。

あくまで参考くらいにしといてください。学者でもなんでもないから言いたい放題やってるだけです。

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