【読書記録】『美とミソジニー』 トランスジェンダー編

反TGism
ダンス・イン・クローゼット管理人
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トランスしなかった私の話をしよう。『美とミソジニー』はトランスジェンダーについて丸ごと1章分書かれています。読んでいて、そういえば私も女やめたいと思ってたことを思い出しました。思春期に性別が揺らぐなんてよくあることだけれども、それをあえて言葉にして残そうと思います。

トランスジェンダーとは、生まれたときの性別と自認する性別が違う人のこと…という定義もあるようですが私は定義自体を疑っています。ここでは女装男性、女性自認男性、女性器に似せた性器美容整形済男性も含めてトランス女性と呼びます。

トランスしなかった一人として

性別違和というか、小学生のときからずっと俺って言ってるし、胸と子宮取りたいって思ってたし、制服になるまでズボンしか履かなかった。今ならそれが女として扱われるのが嫌だったからだって分かる。でも当時は、ただわけも分からずひたすら苦しいだけだった。なんとなく私って言いたくない、なんとなく性器を取りたい、なんとなくスカートは嫌…と理由の分からない、けれど強烈な嫌悪感があった。

あのとき胸と子宮を取るという選択肢があったら、多分やってたよ。

でももし胸や子宮を取る手術をしていたら、今ごろ後悔してたと思う。「社会が女への扱いがクソだから苦しいんじゃん!私の身体が原因じゃないじゃん!私が変わる必要なかったんじゃん!社会が変わるべきじゃん!」って気付いて後悔したと思う。フェミニズムに出会った今はもう気付いたから、手術しようとは思わないし、ホルモン打とうとも思わない。

どうしてトランスするの?

虐待を受けた少年や、男性加害者に従属させられたことで男性権力への道が閉ざされてしまった少年が、女らしさという既存のカテゴリーに向かうこともあるかもしれない。もう一つ考えられるのは、男らしさが不十分であると疑われる若い男性が学校や幼少期に受けたいじめや嫌がらせが、男という優位な政治的地位に入る能力を損ない、その正反対と思われるものに頼るようになることである。

『美とミソジニー』p106

ジェンダーをトランスする人の動機はあまり語られない。語ってくれたと思ったら「しっくりきたから」「自然だと感じたから」「違和感があったから」…なんだかふわふわしていてもうちょっと深掘りしよ?ってことが多い気がします。なんでしっくりきたの?なんで自然だと感じたの?何にどんな違和感があったの?その思いの根元にあるものが知りたいんです。

この本では過去に虐待などの被害に遭ったことが指摘されています。誰だったかも「トランス女性は性被害者も多い」みたいなことを書いていました。その話、私は信じます。男たるもの常に支配階級でなくてはならず、一度でも他人に支配されたら男の資格がないかのように思ってしまうんじゃないでしょうか。某男性教授が男性との性行為で”女になった”って書いてたけど、正しくは「支配された」(と感じた)ということなんでしょうね。支配された=一度以上支配階級から落ちた=男失格!=女!

そんなわけないだろ!!支配された男は支配された男だよ!支配された人間のことを女とは呼ばないし、女を支配された人間とは呼ばないだろ。でも、男は支配するもの!女は支配されるもの!という思い込みがあると「支配された!自分は女だ!」って勘違いするんだろうね。

ここでイラついた人、図星なんじゃない?怒りじゃなくて実は悲しみが隠れてるんじゃない?自分が弱いことを受け入れられてないんじゃない?過去の悲しみが癒えてないんじゃない?一度でも他人に支配されたのが心の傷になってるんじゃない?傷に向き合おうよ。

p304に身体醜形障害の話があるけど…この話、する?いつぞやTwitterで首から上化粧も何もせずにワンピース着て、「まだ似合わない、つらい」的なこと言ってる女性ホルモン打ってる?男性のツイートを見かけたんです。なんだか性別違和の中に「ブスすぎてつらい」も入ってそうな気がしたんです。私は入ってた。ブスすぎてつらい状態から逃げ出したいと思ってた。逃げ込んだ先はボーイッシュな格好だった。

トランス女性はドМ?

女らしさは、従属的な地位を表し、それゆえマゾヒスティックな性的関心を満たすため、それを求める男性にとっては性的刺激となる。

『美とミソジニー』p95

Twitterでどなたかが似たようなこと言ってました。女装はドМだと。

女らしさの振る舞いと付属物は一種の性玩具(p100)とも本書で述べられています。まあ性的ファンタジーの一部だとバレてしまったら誰も擁護してくれなくなるから必死に違うと言い張るよね。

売春婦のような服装をわざとすることが多い、彼らが想像できる最もセクシーな服装だからである(p111)とも。田嶋陽子さんが『愛という名の支配』で女性の扱われ方について「穴と袋」と表現していた。トランス女性はこの「穴」を演じるしかないのかもね、だって袋ないから。

いや妊婦女装が存在するのは知ってる。妊婦女装って穴と袋どちらを表現しているんでしょうね。あ、妊婦女装の男のいいね欄が妊婦AVだったことはあるな…やっぱ穴か…。妊婦女装、現実で見かけたことあるんだけど、その男もきっと妊婦AVを見たんだろう。というか彼らの行動や服装を見たら、どんなAV見てるかある程度見当がつくってことじゃない?女装してトイレで露出して自撮りする男は女性がトイレで露出するAVを見たんだろう、とか、金髪ギャルメイクの女装男は金髪ギャルのAV見たんだろう、とか。…考えただけで気分悪いな…。

売春婦(AVに出てる女性と解釈)を手本にしているというこの本の考え方は、女装に感じていたモヤモヤを言語化してくれた。服のセンスがファッション誌を手本にした感じじゃないとは思っていた。おしゃれを追求したいわけじゃなさそうだな?と。AVがお手本だからそうなるのか…なるほど…。

トランスさせる側の思惑

男性支配の二元ジェンダー化システムを撹乱しているとみなされたジェンダー不適合者を容認可能なジェンダーカテゴリーに割り当てるという政治的目的である。

『美とミソジニー』p97

トランスジェンダーの政治は根本的に保守的であり、男性至上主義の支配階級と従属階級の振る舞いすなわち男らしさと女らしさを維持することに熱心である。

『美とミソジニー』p99

男女のこの再ジェンダー化を一つの基盤にしているトランスジェンダリズムは、その機能においてもジェンダー化と同じ役割を果たす。それは、女らしくない女性と男らしくない男性をそれぞれの性別から排除して他方の性別に再配置するすることで、結局は男女のジェンダー秩序を再確認し、再生産し、再強化しているのである。

『美とミソジニー』p323

TRA聞いてる?あなたがた保守なんだよ。トランスジェンダリズム反対派はジェンダー解体と言ってるのに、トランスジェンダリズムはジェンダー強化してしまって邪魔してるんだよ。統一教会がトランスジェンダリズムやLGBTに反対してるとか言うけど、保守同士の対立なんだよ。

トランスジェンダリズム「男らしくない男は許さない!女になれ!」

統一教会「男らしくない男は許さない!男らしくなれ!」

(※統一教会の「ホモセクシャルやゲイは罪」という発言から解釈しました)

どっちも男らしくない男が大嫌いなんじゃない?男らしくない男も男と認めてやれよ。

男が女装が嫌いなのはホモフォビアもあるんでしょうね。女装している=俺にアピールしている=俺が恋愛対象!?=俺を恋愛対象にする男は怖い=びっくり、じろじろ見る

…そうはならんやろと思うでしょ?でもおしゃれした女性を「俺にアピールするためにおしゃれしてる」と勘違いする男がいるってことは、女装男性にも似たような勘違いする男がいるのでしょう。男子トイレから女装男性を追い出している性別を責めようよ。ホモフォビアに反対する活動してくれよ。

(ホモフォビアに関してもっと言語化できる人、ぜひ「なぜ男はトランス女性を男子トイレから追い出してしまうのか」考えて発信していただきたい)

加筆 俺を恋愛対象にする男は怖い の中身を詳しく考えてみた

男社会に参加する条件に①童貞ではないこと②同性愛者ではないこと がある。女を一人以上支配していること(性行為経験や結婚など)で、男に対してち○こが勃つ人間ではないこと、男を襲ってち○こを突っ込み性的に支配する可能性がないことを証明する必要がある。「あなたがたを襲って一度でも 被支配者にして、支配階級から落として男失格にしないので安心して男社会に入れてください」と。突っ込まれた男=男失格突っ込む男=男を失格にさせる悪い奴になるので①と②を厳しく監視し、男社会からはじき出しておきたいのだ。男は、突っ込んできそうな男も、突っ込みたくなるよう性的興奮を誘う、アピールしてくる男も怖いのだ。男はホモセクシャルが怖いのだ。男は女装が怖いのだ。男は男が怖いのだ。

(だからホモとか童貞とか言って男が男を揶揄するんだね)(みたいなことを上野千鶴子の本で読んだ気がする。)(だいだい上記のことが男性のホモフォビアの説明になってるかなあ。あんまりこの、どうしてホモフォビアがあるのかというのを説明してる人いないからただ「気持ち悪がること」で議論が止まってる気がする)

おわりに

この本を読んでトランスジェンダーに思うことは…自傷行為っぽいけど大丈夫?自傷行為してしまう原因に向き合おうよ。原因探らずに制度や身体を変えようとしても苦しいままだと思うよ。念仏唱えとけば全部治るっていう宗教みたいじゃん。

この社会は女への扱いも男への扱いもクソだから逃げたくなるだろうね。気持ちは分かる。私もそうだったから。でも変わるべきなのは自分(の性別)じゃなくて社会なんだよ。

トランスジェンダリズムを批判するといろいろ言われるけど、トランスジェンダーには希死念慮のある人も多いようだし、私はその人たちも心配だから批判してるんです。

ダンス・イン・クローゼット管理人
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『美とミソジニー』、トランスジェンダリズム派の人にも読んでほしいな。トランスジェンダリズムの主張が本当に正しいなら、本を読もうが揺らがないでしょ?反対派の意見を聞くことも、反対派の意見もいいなと思うことも、トランスジェンダリズムを疑うことも別に罪じゃないよ。第3章だけでもぜひ読んでね。私がページ数書いたところの前後も参考になるかもしれません。

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