【読書記録】怒りたくて怒れなくて本を読んでみた

読書記録

『従順さのどこがいけないのか』将基面貴巳 筑摩書房
『なぜ私は怒れないのだろう』安藤俊介 産業編集センター
『怒りの作法 抗議と対話をめぐる哲学』小川仁志 大和書房
『「怒り」の正体 精神医学からみた「怒り」の構造とその制御について』和田秀樹 バジリコ

怒れない!怒り方が分からない!怒れるようになりたい!と手当たり次第読んで学びになったところをシェアします。女性の著書を探せず男性ばかりで、まだ女性の視点から批判しなくてはいけない部分もあるかと思います。

権威に服従しがちなのはなぜか?それは安心できるからだという。「安定感に浸っていたい」「責任を取らなくていい(と思いたい)」楽かもしれないが自由ではない。責任をとらなくていいということではない。服従をあえて拒否することは心理的抵抗が生じる。服従する「習慣」と戦わないといけない。

不正を目にしていながら黙っていることは共犯だという。イギリスの思想家ジョン・スチュアート・ミル「悪人が自分の企みを実現するためには、善人が傍観して何もしないこと以外、なにも必要としない」 キング牧師「この社会変動の時代における最大の悲劇とは、悪い人々の騒々しい叫び声ではなく、善い人たちのひどい沈黙なのです」(p91要約)

権力者は市民に団結してほしくない。お互いに信用できず、助け合わないように仕向けている。アメリカでは共産主義者を市民同士で告発させて排除しようとした歴史がある。今日本で起きている事態の一例として「自己責任」「自助」を挙げている。しかし元々自己責任という言葉は政府の自己責任を問題にしていたそう。現状自己責任を問われるべき関係が個人と政府で逆転してしまっていますね(怒)

「政治思想史の用語として、「暴政ティラニー」とは、一部の指導者が自己利益を優先させた結果、市民生活が疲弊し、自由と平等が損なわれた事態を意味します(p146)」だそうです。日本の今のこの現状、暴政と呼ぶんじゃないでしょうか。(※↑なぜか『暴政』にできませんでした)

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー『市民的不服従』 ある特定の法律に違反することで市民的不服従を実践すべきなのは、何らかの不正が人々を「他人に対する不正行為への駆り立てる」場合だと主張(p161)しているそう。日本でも闇バイトが流行る(?)ようになっているし、ライフハックとか言ってマナー違反ぽい節約テク?があるし、税金納めるのやめてやりたいですね。サフラジェットも税金支払いを拒否したそうです。

本当に暴力は「絶対に」いけないことなのでしょうか?と書いている。ヨーロッパ政治思想の伝統には暴君殺害論があり、「暴君」を殺害することを正当な行為として認める傾向があるそうです。市民による正当防衛といったところでしょうか。検察も機能しなくなった近年、政治家の命を直接狙った事件は批難されましたが、実際それで社会が動いたこともあり、認めるかどうかという点はともかく、もしかしたら有効なのかもしれません。

挙げられていた映画
『海の沈黙』ドイツ支配下のフランス人がドイツ人としゃべらないという抵抗をした話。誰かが提案していた、男としゃべらない関わらないという抵抗方法を思い出しました。

『善き人のためのソナタ』東西ドイツの対立で、盗聴器を仕掛けている相手の動向の虚偽の報告をするという話。上司に対する不服従。…税務署の人や財務省の人、税金見逃してくれませんかねこの映画みたいに。

若い読者向けに、と書かれているとおり読みやすい。疲れた頭でも読めました。子供向け本コーナーに置いてるかもしれません。

社会に対する怒りというより対人という感じですが一応共有します。

怒ることが大切というよりも、怒る必要のあることには上手に怒れ、怒らなくて済むことは怒らなくて済むようになることが大切。メリハリということですね。

怒ったときの他人の評価が怖くとも、世間の評価は適当だし無責任だ。何度も聞いたことのあるような言葉ですが、なかなか難しいですね。まだ私にもあります。男性からの評価はどうでもいい(と思っているはず)のですが、フェミニストからの評価は気になりますね。いえフェミニストからの指摘や批判は受け入れますが。

怒り方が分からない原因については、上手に怒る人が身近にいたことがない、自分が怒られて嫌な思いしかしたことがないを挙げている。怒ることに苦手意識がある人は、まず自分がどう怒りたいか、どう怒れば満足できるのかイメージできるようになるところからだそう。海外の、特に韓国のデモがイメージの参考になると私は思います。現実的なものに限りますが怒るシーンのある映画もいいのではないでしょうか。

怒るコツは「相手が理解しやすく、すぐ行動に移しやすいリクエストをしよう」。…受け取る側がフェミニストの要求を理解する気すらない、色々理屈をこねて行動に移さない、さらには怒りが間違っているとさえ言ってくるときは…?さらに怒るしかない…?

怒ってはいけない、怒るのをやめませんか、という風潮の旗振り役は一部の仏教徒だという。表に出さず問題解決に結びつけようともしない怒りを「自爆型」と呼んでいる。怒りが溜まって自爆するときに他人を巻き込むケースがある。そしてその自爆に巻き込まれるのが女性や子供ですよね。

怒りを表に出し、かつ問題解決に結びつけようとする怒りを「実務型」と呼んでいる。ただ怒りをパフォーマンス的に使うだけの人もいる。そういったパフォーマンスではすぐに化けの皮がはがれると著者は言っているが、現代日本を見ていると、見抜けない人がけっこういる気がします…。

正しく怒るメリットについて、「ポジティブ思考を可能にし問題を解決するための粘りを生み出し、行き詰まりを突破する。ストレス発散につながりセキュア・ベースとなり、他者をも心地よくします。さらに良好な人間関係を構築することができ、孤独から抜け出すことを可能にし、暴力を抑止する。(p84)」

「セキュア・ベース」は心の安全基地とでも言いましょうか。「怒りは、押しつぶされそうな心をぐっと押し上げ、正常な状態に戻す機能を果たす(p81)」そうです。「他者をも心地よくする」というのは、法廷ドラマなどで敵を論破する弁護士を例に、見る側はある種のカタルシスを感じるのではないかという。また、言いたいことの言える良好な人間関係を構築することができるとも。「暴力を抑止する」というのは、暴力を振るうくらいならむしろ正しく怒ることで暴力を阻止したほうがいい、ということです。

著者は、日本でデモに悪いイメージがあるのは、強引な取り締まりに原因があると述べている。日本人のデモはお祭りのパレードくらいにしかみえず、怒りを去勢されていると。海外のような暴徒化がいいのか悪いのか分かりませんが、日本であそこまでやるのは確かに聞いたことがですね。

日本には我慢は美徳という概念がありますが、この美徳を維持しつつ怒ることは可能だという。秩序を乱すことなく、他者にも配慮しつつ怒る。お行儀よく怒るとも書いてますが…男性はぜひそうしてほしいですが、女性もやらなきゃいけませんか??

この本で挙げられていた『怒れ!憤れ!』は2010年フランスでベストセラーになり、欧米でのデモに大きな影響を与えたという。著者ステファン・エセルはドイツ支配下のフランスで生き延びた93歳の元レジスタンス。「一人ひとりが怒るべき理由を見つけてほしい。怒りは貴重だ。かつてナチズムに怒りを覚えた私のように、怒りの対象を持つ人は力強く前進する戦士となり、歴史の流れに加わる。(p25)」貧富の格差、人権問題、環境問題、ガザに心を痛めている。

岡本太郎『美しく怒れ』はあまり理解できませんでした。日本人が怒らないことに怒っている、他の人が気にしないことにも怒っているということは分かりました。鉄道は改札の費用が高いから改札やめて運賃無料でも成り立つって話本当でしょうか。

属事と属人 言っている人は嫌いだが言っている事は評価する、政党は嫌いだが政策は評価する、などといった属事的な発想が大事なポイントだそう。「例え嫌いな女性でも性被害の告発は連帯するよ」は属事的で、「○○さんはトランスヘイターだから良いこと言っててもリポストしないで!」は属人的ですね。

厳しい野球監督の例を出し、親子関係でも怒ることや手が出ることが悪いのではなくて、ふだんの愛情が大事なのだと述べている。つまり信頼関係ということですが…ただでさえ信頼してもらえない女性たちはどうすれば…。

躾や叱る目的は行動を変えさせるためだそうですが、男性に変えてほしいものは行動・思考・文化・制度…とにかく女性差別につながっている全てです。「怒られるからやめる」と消極的に行動を変えるだけでなく、女性と同じ怒りを持って、思考・文化・制度を積極的に変えてほしいものです。

怒りについて学んでいると言ったらアサーションという言葉を教えてもらいました。自分も相手も尊重したコミュニケーションとでも言いましょうか、詳しくないのでご自身で調べてほしいのですが、対人で怒るときには必要そうです。対社会で怒るときにも応用できたらいいのですが。

2024年12月、韓国の大規模なデモが報道されました。政治が酷いのにデモが起きない(と私は思っている)日本は見習いたい。でも『怒りの作法』で述べられていたように、日本はデモに悪いイメージがあるというのは私も感じています。そんなイメージを打ち壊して、デモで怒りを表明し、社会を変えていかなければならないという危機感があります。

社会を変えたい←デモが起こせる社会にしたい←そのためには怒れるようになることが必要←そのためには怒り方を知ることが必要…と考えてこの記事を書いてみました。もしかしたら怒ることに慣れている人は、怒り方が分からないって何?と思われるかもしれませんが、私のように分からない人は本当に分かりませんから…。「分かる」からといって「できる」とは限りませんが、分からないと「できる」に進めない気がして。

私は先輩フェミニスト達の怒りの発信に、ある種のカタルシスを感じ、押しつぶされそうな心が支えられてきました。また、フェミニスト達の怒りを見続けていたおかげで、真似して現実でも多少怒れるようになりました。ありがとう、先輩フェミニスト達。あなたがたのおかげで私は変われた。そして今度は、このブログを読んだ人が、少しでも怒れるようになれたらと思います。

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