映画『片袖の魚』感想&ツッコミ

反TGism

この記事はネタバレを含みます。ネタバレを踏みたくない方はここで引き返してください。

ダンス・イン・クローゼット管理人
ダンス・イン・クローゼット管理人

映画『片袖の魚』(監督東海林毅 イシヅカユウ主演)にツッコミを入れていきます。トランスジェンダーをテーマにした映画。女性自認男性(※)を女性として扱えというトランスジェンダリズム(性自認至上主義)という運動に私は反対しています。彼らの主張を学ぶために観ました。

※女性自認男性をトランスジェンダー女性と呼ぶひとたちがいますが、実態を正確に表現するためにここでは女性自認男性と表記していきます。

映画の中の前衛ダンスについては別で記事を書きました→こちら

映画の内容とツッコミ

あらすじ

女性自認男性が主人公の物語。ある日仕事で故郷の街に行くことになり、高校の元同級生の男に連絡し、会うことに。日常での周りとの関係や、元同級生に会うまで、会ってから、そして別れてからの主人公の感情の動きが描かれています。

日常シーン

取引先で、「誰でもトイレなら二階にあります」と言われたシーン。女子トイレと言われなくて傷ついたってこと?男子トイレと言わなかったのはだいぶ配慮してくれた相手だと思うんだが…。

主人公行きつけのバーのシーン。主人公が好意を寄せている?かつて好意を寄せていた?そしてもうすぐ会おうとしてる元同級生の男について店員と話している。主人公の「だって(相手は)女の人が好きだし。絶対無理でしょ。」に対して店員が「は?あんたも女でしょ?自信持ちなって。自称ノンケなんていっぱいいるんだから」と返す。
…こういう、他人がいいかげんなことを言ったことから刷り込まれて行くのかな…優しさで言ってあげたことを本気にするというか…。女のわけないのにね…。

別の取引先の男性に「もしかしてあなたって男性?」と聞かれたシーン。これは…仕事に関係ないなら聞かなくてよかったのでは?トイレや更衣室聞かれたときにだけ話題にすればよかったのに。世間一般の反応としてはこのくらい気軽に聞くだろうなという感じは確かにある。

その男性に「体は男性なんですけど…心が女性で。で女性として生活してます」と返す主人公。心に性別なんて無いけど、あるかのように言うこの言い方は勘違いを生みそうで危うい。けどジェンダーとか何も知らないであろう相手にはこんな風に言うだろうな、というのは分かる。分かるけど語弊がある。

あともうツッコむのも疲れるけど「女性として生活」って何だよ。髪伸ばして化粧して女物の服着て自分を女だと思い込んで生活すること?それは髪伸ばして化粧して女物の服着て自分を女だと思い込んで生活している男ですね。

飲み会シーン

主人公がかつて好意を寄せていた(?)男を含めた元同級生10人くらいの飲み会は、元サッカー部の飲み会ってことかな。映画を見ていて、私はてっきり主人公と二人で会うんだとばかり。主人公もそう思ってたのかな?あれ?大人数の飲み会って言われてないぞ?と。意図せず大勢の元同級生にワンピース姿を晒してしまった、ようにみえる。かわいそう。

主人公がその飲み会で孤独を感じている…と表現したらしきシーンがある。セクハラが飛び交う。誰かが連れ込んできたんだと思った、誰が一番タイプか、男だと知らなかったらいける、俺ら差別しないよ仲間だから、など。ホモソーシャルなノリ。(ホモソにノれない自分への嫌悪の可能性もある)

主人公がかつて好意を寄せていた(?)男は別れ際までなんだかぎこちなく見える。また気軽に飲もうやと言って寄せ書きが書かれたサッカーボールあげると言われる。主人公はそれを受け取り、去っていく男に後ろからぶつける。確かにそれは要らん。寄越すな。でもぶつけるな。

飲み会後、行きつけのバーで「最悪。二度と会わない」とこぼす主人公。好意を寄せていた(?)男も、今会うとセクハラホモソだし、主人公が元同級生大勢に今の姿を見られたくないかもな…という配慮も無いし、もうすぐ父ちゃんになりまーす!(でも飲み会来てる)という、よくいる日本の男だったという。

男の集団のホモソノリとセクハラと配慮の無さが平気な人なんてほとんどいないだろう。こんなのと同じ属性なのか…ってなったら男やめたくなるかもね。

クマノミのシーン

随所にクマノミの話が出てくる。クマノミは群れで一番強いオスがメスになるという。主人公がクマノミの置物を持ち歩いている描写がある。学生服の主人公がクマノミの水槽を見つめるシーンが何ヵ所か入る。

後半にある長髪に学ランの主人公が映るシーン、雰囲気も音楽も怖いんだが…。お嬢さんと言われて照れ笑うでもない真顔の主人公。単純に怖い。悲しい音楽で演出できるかもしれないのに、しなかったんだな…。

補足がつきました

取引先の男性に「体は男性なんですけど…心が女性で。で女性として生活してます」と返す主人公を見て、「心は女性って言うな」って最近誰か言ってなかったっけ??って思ったらいました。そしてなんと監督からリプもらいました。

引用載せときますので辿ってください。全世界に発信しているのに注目されるとなぜか怒る人がいるようなので。自分が正しいと思うのなら堂々としてなよ。どこかで「自分は正しくない」って分かってるから注目されるの嫌なんじゃない?

2023年のアーカイブ

Wayback Machine

2023年3月末の時点では「心は[性別]で~」の文章はありませんでした。これが証拠です。

片袖の魚 東海林毅 | THEATRE for ALL
ずっと、わたし -トランスジェンダーのささやかながらも確かな一歩を刻む34分。わたしがわたしを生きる物語。片袖に生まれたこの赤い魚が、あなたへと燃え渡りますように。東海林監督、話題の2021年・最新作がTHEATRE for ALLに登場。

そして4月初め、文章追加されてます。

https://web.archive.org/web/20230402134416/https://theatreforall.net/movie/katasode-no-sakana/

いやあ…なんかそんな…「初めからこう書いてましたが?」みたいな感じでいいんですか…?2021年7月だっけ?の初公開から1年8か月以上経過してからこの文章を追加したわけで…この度アップデート(補足?)しました!とかあってもいいじゃない…?(まあ文字数増やすの最小限にしたかったとかあるかもだけど)

そんなにミス(?)を責められるのが怖いのかなあ。トランスジェンダリズム界隈、山岳ベースリンチ事件みたいになってますしね。どんな理由でリンチされるのか分からないからペドフィリアまでも擁護してしまう空気ですし…。

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ペドフィリアへの認識

『片袖の魚』の監督東海林毅はペドフィリアへの認識がこのような人です。私は批判するためにこの映画を見ましたし、↓この発言がされる前に見ました。私はペドフィリアを擁護しません。

トランスジェンダリズム(クィア?)界隈はLGBTQ+の保護を掲げます。Qの中にペドフィリアは入るとはっきり主張しませんがなぜかペドフィリアを擁護する一団がいます。彼もその一人。

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おわりに

トランスジェンダリズム(性自認至上主義)には不思議なところがいっぱいあるのですが、この映画はその不思議なところを忠実に描写したって感じですね。男を女だと言い切るとか、言葉によるコミュニケーションしないまま人を攻撃するとか、人間は性別を変えられないのにクマノミを例に持ってくるとか(この映画以外にも本当にいます)、「なぜ」女性になりたいのか一切説明されないとか。トランスジェンダリズムが何を考えているのか少し分かるのはいいですが。

「心は女性です」という言い方への批判があるらしいので、もっと良い言い方があるなら当事者から出てくるんじゃないでしょうか。私としては「男です」と堂々と答えてほしい。いいんだよ髪の長い男がいたって。いいんだよ男が化粧したって。何を着ても男だよ。「こんな男がいてもいい」って堂々としてなよ。男らしくない男がいていいんだよ。

ダンス・イン・クローゼット管理人
ダンス・イン・クローゼット管理人

トランスジェンダリズムは「男らしくない男」への嫌悪を感じます。一時期よく言われていた「トランス女性は女性です」って、「オカマは『男』から出ていけ!」をきれいに言っただけですからね。男らしくない男を女性とし「男」から追い出す人たち。男性の多様性を認められない人たち。

この映画はその「オカマは『男』から出ていけ!」をキラキラ~とさせたものと言えましょう。

映画を見て何を感じるかは自由です。私個人はこう考えました。

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