ブチギレ読書シリーズ トランスジェンダーQ&A 素朴な疑問が浮かんだら

反TGism

『トランスジェンダーQ&A 素朴な疑問が浮かんだら』 高井ゆと里/周司あきら 青弓社

DSD当事者団体の方へ また雑に性別について書かれています。

p32

まるで「男でもなく、女でもない」人が実際に存在するかのような書き方。DSD当事者団体が、DSDは必ず男女どちらかであると表明しても、このように誤解を生む表現を使いたがる。いや、もしかしてノンバイナリーのことを言いたいのか?「ノンバイナリーを自認したら身体もノンバイナリーになる」はさすがに冗談だと思っていましたが、トランスカルトならあり得る気がします。

トランスジェンダーは性別分けスペースに混乱を招きませんか?という問いに対して、「心が女性」の男性が入ってくるなどの「素朴な疑問」は、大前提になっている発想が不適当だと言っています。(※ん?ってなる日本語だとは思いますが元々ん?ってなる感じの文章を要約しているのでこうなってしまいます)

(p116 強調は原著 原著では表形式)

何も不適当じゃないのでは?この発想には4つの問題点が含まれていると言っています。

問題1 現実が覆い隠される

トランスが多様である事実を分からなくしてしまうから(要約)。

はあ??まず不思議なことに、性別は多元的とかいって書類・生活・身体・アイデンティティなどの水準で考えることができると言っています。そして書類・生活・身体・アイデンティティ上の性別の組み合わせや整合性がまちまちで、さまざまな人がいるそうです。はあ??現実には性別は身体にしかありません。書き換えた書類上の性別()と生活上の性別()とアイデンティティ上の性別()は幻想です。現実が覆い隠されるって何?現実を指摘されているの間違いでは?

問題2 余計なイメージを喚起してしまう

「身体が男性/身体が女性」という言葉は一見すると身体の特徴を示しているようにみえるが、実際には人の外見生活実態について特定のイメージを強く喚起する(p118要約 太字は原著)。

???言いたいのはこういうことでしょうか?「身体が男性」というと「男性らしい外見」と「男性らしい生活実態」をもった人をイメージするかもしれませんが、違いますよ!と。

しかも多分、こうも言いたいのでしょう。あなたが怖がっているのは「身体が男性」の人ではなくて「男性らしい外見」や「男性らしい生活実態」をもった人なのです!!と。

はあ??「身体が男性」は「身体が男性」という意味です(進次郎構文)。外見も生活実態もどうでもいいから身体が男性なら女性用スペースに入らないでください。

問題3 性別についての解像度が粗い(※原文ママ)

不適当な「発想」①性別分けスペースは〈身体の性別〉で分かれている。だけでは「何をいっているのかわからないことになる」らしいので、①何によって分かれているのか(A.性別)②利用者の性別は何に基づいて判断されているのかに分解したようです。そして②の問いに例をあげて説明しています。

例:スポーツジムの更衣室 入り口で会員カードをかざすことになっている

→カードの記録情報
記録された経緯はジムの運営によるが身分証、外見、自己申告など

例:駅のトイレ 知り合いに会う可能性がない

→その人の外見がキーの役割を果たしていることになる
トイレの利用者が外見に基づいて他者の性別をジャッジし、ジャッジの結果により困惑や不安感を招く。(いまいちな日本語ですが元の文章が読みにくいんです)

他人に性別ジャッジさせんな!自分が知ってるだろ!キーというより鍵の偽造やピッキングに近いですね。捕まってないだけの犯罪者です。

例:会社のトイレ お互いのことをよく知っている

→既知の情報で判断される

???どんなに男性に見えても(戸籍上)女性社員として扱わないといけない場面や、どんなに女性に見えても男性社員として扱っていい場面があるってこと?経産省女子トイレ裁判(過去記事)では戸籍が男性という既知の情報で判断されたのに不満だったようですが。

「性別は何に基づいて(他者に)判断されているのか」とか関係ありません。何?他者の判断次第では異性のスペースに入っていいとでも思ってる??

他者の判断に頼らなくても、自分の性別は自分が一番知ってるでしょう。性別に違和感があろうと、自分の身体性別は知ってますよね?むしろ知っているからこそ性別に齟齬があると思えるんですよね?違和感があっても、受け入れたくなくても、「知って」いる身体性別に従って性別分けスペースに入ってください。他者の判断という無駄なもの持ち込まないでくれませんか?

問題4 トランスの人たちが本当に求めていることを覆い隠してしまう

トランスジェンダーの人たちが「心の性別」に応じてすべての性別分けスペースを使えるようにするよう求めているという前提は、誤解であり、さらにいうと捏造された主張だ。(p122要約)

??まだこれ言うの???女湯に侵入したスザンヌみさきという前例一つで破綻してますよ。それとも「求めてはいないが使いはする」とか馬鹿なこと言いませんよね?

トランス女性は身体が男性であり、トランス男性は身体が女性です。だから、トランス女性は常に男性用のスペースを、トランス男性は常に女性用のスペースを使うべきです。何も不適当じゃありません。

身体男性が女性用スペースに入る選択肢??

なんで身体男性が女性用スペースに入る選択肢があるんだ??トラブルを避けたいからのようですが、たとえトラブルになろうと男性用に入るしかありませんよ。

「すでに現実に女性として生き」??

雰囲気を知ってもらいたくてQ&Aを一つ引用します。

何をどうしてると男性が女性として生きてることになるの!?!?こういう、よく考えるとおかしい言葉に引っかかってしまいます。しかも「シス女性との違いは、場合によっては出身地の違いくらい些細なものにすぎなくなることがある」とも言っていて呆れます。

「勝手な空想のなかの懸念」

トランスジェンダーへの恐怖ではなく、男性による暴力を懸念しているんです。勝手な空想ではありません。身体男性が積み上げてきた実績です。これからも身体男性による実績が積みあがっていくでしょう。身体男性が暴力を振るう社会構造、つまり女性差別は、まだ解消されていませんから。

第4部「トランス差別はいけないけれど気になる」疑問 という章があるんですが、一から十まで全部おかしくてツッコみきれません。ホルモン治療は心身に悪いのでは?トランスジェンダーは女性の権利と対立するのでは?トランス女性は男性特権をもっているのでは?などをことごとく否定しています。

「素朴な疑問」は素朴ではないと書かれてます。多分、差別的だと言いたいんだと思います。ただでさえ女性差別と防犯に関する重大な話を「素朴な疑問」と矮小化されることにブチギレてますが、さらに差別的とまでされると、怒りが止まりません。

世界的には、WPATHが告発され、キャスレビューが発表され、イギリスの政治はトランスイデオロギーから脱出しつつあるところです。トランスジェンダーブームはいつかは終わりますが、活動家や政治家がトランスジェンダーを擁護したいあまり無責任な言説を繰り広げたことは消えません。この本のように言い訳できる逃げ道を残すかのような微妙な文章であろうと、逃がす気はありません。

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