『WOMAN 話すことを選んだ女性たち 60人の社会・性・家・自立・暴力』アナスタジア・ミコバ ヤン・アルテュス=ベルトラン 清水 玲奈(訳) 日経ナショナル ジオグラフィック
アマゾンや楽天のサイトでサンプルとして韓国人のヒナさん(後述)のページが見れます。
「ブラジャーにレースがたっぷりついているほど、私はうれしい。」という男性の言葉が載っているそうなので読みました。
「ブラジャーにレースがたっぷりついているほど、私はうれしい。」
全体と前後の文脈
「ブラジャーにレースがたっぷりついているほど、私はうれしい。」(p9)の男性、全文載せたいくらいですがピックアップしてツッコみます。
「元男性で」今も男性です。
「女であることとは、一体何を意味するのだろう。(略)男たちとの違いをはっきりと示すことを意味する。」サッカーじゃなくてドレスの話をしようと男性です。声のトーンや振る舞いを変えても男性です。
「私にとって女であることとは、化粧をし、ハイヒールを履き、女らしさを存分に表現することでもあるのだ。」それは女とは何も関係ない。女と関係あるという偏見だ。
「ブラジャーにレースがたっぷりついているほど、私はうれしい。」は女性活動家がブラジャーを燃やした話を引き合いに出していた。なぜ女性活動家はブラジャーを燃やしたんでしょうねえ?少なくともブラジャーに肯定的ではないでしょう。なのに男性が女として(?)ブラジャーを肯定しているという。
自分が自分でないような気がして鏡を見るのを避けていたが、性転換(原文ママ)を始めてから自分が自分だと認められるようになったという。ブスだと思って自分を自分だと認めたくなかったときの私じゃん。
なぜか美しさの話が出てきます。自分を美しいと思えることが美しさだと。そしてひげ脱毛に苦労した話されても…。
すべての女性たちへのメッセージ「生まれた場所や生まれつきの体のせいで人を差別するのがどんなに浅はかかということを訴えるために、私たちは一丸となって闘える。」自分のことを「途中から女性になった人」と表現しています。男性は男性と協力して男性を教育することで闘ってくれませんかね。男性から男性である自分を排除しているのは差別じゃないんでしょうか。どうしてこうも本人も本の作者も男性として認めてあげられないんでしょう。
本人も「反フェミニスト的だと思われるかもしれないけど」と書いてます。その通り!アンフェです。
『バックラッシュ』と合わせて考察
下着会社の男性職員が願望を集めて広告に反映しようとする話で、「私への思いが一目で分かるランジェリーが好き」というのを思い出しました。(スーザン ファルーディ『バックラッシュ』p171)
「私への思いが一目で分かるランジェリー」って何!!??まあでも、機能性ではなく装飾性を優先した下着のことを言っているんだろうとは思います。女性が自分の身体のために下着をつけているのではなく、誰かに(特に男に、男である自分に)見せるためにつけているのだと解釈するのでしょう。装飾性≒“私への思い”?
レースは機能性を求めた布ではないと思うので、装飾だとは思います。レース≒装飾性
合わせると、レース≒装飾性≒“私への思い”みたいな…?レースの量≒装飾の量≒“私への思い”の量みたいな…?
そんでレースたっぷり男は「“私への思いが一目で分かるランジェリー”を身につけた女が欲しい」を自分の体で実践している…?と思いました。それとも「“私への思いが一目で分かるランジェリー”を身につけた女の格好をした男である自分」に喜んでいるのか?いや彼の動機は分かりませんが。
合ってるかどうかは分かりません。ただ私の頭の中でつながってしまいました。頭からこびりついて離れません。私はブラジャーはもう捨てましたが、女性の皆さんにも燃やして捨ててほしいくらいです。
ほかにもブチギレ
メキシコのムシェ
p28・29に、第三の性として化粧をした男性が4人載ってます。彼らの話を要約すると
・私は男の役割も女の活動もするという意味で二重の存在
・母は私に女の役割とは何かを教えてくれた
・性行為の間、女であるのは私。(原文ママ)女になるなんて嫌だけど男になるのはもっと嫌
・自分の性器が好き。私は男と女の間だ。
はあ??仕事(男の役割)も家事(女の活動)もする女性を何だと思ってる??“女の役割”なんてものはなく男性がやっても何も問題ないが??ゲイのネコは女じゃないが??男と女の間なんてないが???
メキシコだけでなく、いろんな民族にこういったものがあるようです。ネイティブアメリカンのベルダーシュ、インドのヒジュラ、トンガのファカレティ(私が読んだのはファカレイチー 『女ぎらい』上野千鶴子)など。どれも男の中のサブカテゴリーであって女ではないですね。まして第三の性でも第三のジェンダーでもないですね。
オレンジイズニューブラック
オレンジイズニューブラックというドラマで、女性器について教えるトランスジェンダー自認男性が出てくるそう。シーズン2。(p79)ドラマ見てないので見た人はどんなだったかぜひ発信してほしい。
この本で知れたのは「今夜あなたのベッドで自分のあそこを研究してください」というセリフと、性器の絵を見せながら、快感を得るには自分の性器を知ることが重要だと力説しているらしいこと。特大のマンスプレイニングでは??あ、トランスウーマンスプレイニングですか??
おわりに
全体的にはいいんですが、ところどころ「女の役割」「子供を抱く女だけが本物の女」「美容整形は私の役に立ってる」みたいな感じです。まだ世界中の女性が、ミソジニーの内面化から脱出できていないことを突き付けられます。
救いは、韓国人女性ヒナさんが「髪を切ったりメイクしなかったり、パンツをはいたからって、XX遺伝子がXY遺伝子に変わるわけではない」(p10)と言っているところ。短髪ノーメイク(に見える)で写っている彼女の言う通りで、男性も長髪で化粧してブラジャーをつけようと女性にはならない。根底にこれがあれば、トランスジェンダー自認男性を女性として扱うジェンダーイデオロギーに騙されないと思います。ヒナさんを載せているのによく同じ本にトランスジェンダー自認男性を載せれたなと驚きました。
この本、題名に「女性たち」とあるのに男性を載せたことに怒ってます。でも出版するなとか回収しろとかは言いません。それは言論統制です。本は大勢の人に読まれ、批判でも称賛でも起きればいいと思います。そしていつかジェンダーイデオロギーがどのようなものだったのか未来に伝える歴史的資料として残ればいいと思います。人がどのようにしてイデオロギーに染まったのか、研究して次に生かさないといけないですから。
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