『われらはすでに共にある:反トランス差別ブックレット』編著者: 反トランス差別ブックレット編集部(青本柚紀、高島鈴、水上文) 現代書館
ZINEじゃなくてブックレット。2022年11月に刊行された反トランス差別ZINE『われらはすでに共にある』の増補版だそうです(現代書館HPより)
10名以上がエッセイとブックガイド寄稿してますが気になったところだけピックアップしました。でも「シスジェンダーとは何か」へのツッコミがほとんどになっちゃいました。
水上文「シスジェンダーとは何か」
シスジェンダーについて、
1)トランスジェンダーではない人のこと。
2)トランスフォビアに定期的に苦しめられていない人のこと。
3)トランスフォビアとは何か、知らずとも生きていける人のこと。
と説明しています。1)を正確に言えば2)、2)では「トランスフォビアとは何か」問われるかもしれないから3)のようにも言えるだろう、と展開していきます。
1)トランスジェンダーではない人のこと。
シスジェンダーとは:
p26 ()内は作者
1)トランスジェンダーではない人のこと。
つまり、出生時に割り当てられた性別とジェンダー・アイデンティティ一致していない人のことを指す「トランスジェンダー」というカテゴリーには、当てはまらない人のことである。ただしこのことは、シスジェンダーは自らの性別を、ジェンダー規範を問題なく受け入れている、という意味ではない。だから、より正確に言えば以下である。
???正直よく分かりません。てかそもそもジェンダーアイデンティティの判断根拠なに?まさか女らしい/男らしいからとか言わないよね??…いや、多分それ以外ないはず。
2)トランスフォビアに定期的に苦しめられていない人のこと。
2)トランスフォビアに定期的に苦しめられていない人のこと。
p26 ()は筆者
シスジェンダーであっても、割り当てられた性別と常に問題なく「一致」しているわけではない。
たとえばシス女性の中には、ジェンダー規範による苦しみからトランス女性に共感する人もある。だがシス女性は「男性と見なされたくないのに身体が女性的ではないという状態で、男女どちらかであるのが当然とされ、ときには実際に選択を迫られる日常の中で、何者であるか問われ続けるという経験」1を持たないのであって、トランス女性の困難と等閑視(無視して放っておくこと。おろそかに思うこと。コトバンクより)できるものではない。(中略)
はあ??性別とジェンダーアイデンティティが一致していない人をトランスジェンダーって呼ぶのに、シスジェンダーであっても割り当てられた性別と常に問題なく「一致」しているわけではない??それは一致と呼ぶの?ジェンダーアイデンティティなんて持ってないのに持ってることにしないでくれよ。
女性がジェンダー規範に苦しんでいたら異性自認男性(いわゆるトランス女性)には共感しないんじゃないかな!?そりゃあ男性なら男性とみなされるんじゃないかな!?人間は必ず男女どちらかなんじゃないかな!?別に誰も「選択」を迫ってるわけじゃないと思うけどな!?誰もあなたに何者か聞いているわけじゃないと思うけどな!?別に共感したからって異性自認男性(いわゆるトランス女性)の困難をおろそかに思ってるわけじゃないんじゃないかな!?
「男様の苦しみは女ごときが理解できるほど浅くない」って?全部は理解できないけどさ、それ、女性を理解したつもりで「心が女性」「女性として生活してる」「女性差別も受ける」とか言い張る異性自認男性(いわゆるトランス女性)にも言えちゃうんじゃないかな。
またシス女性が抵抗を覚えるような『女性』のステレオタイプが、トランス女性にとってはしばしば『押し付けられるどころか頑なに拒絶されてきたものであり、自力でそれを身につける権利を獲得したもの』2
p26
とりあえずステレオタイプを身につけていることは認めてますね。それが迷惑なんですが。わざわざステレオタイプを身につけて女性だと主張するのは女性へのステレオタイプ強化につながるって分からないのかな??
「自力でそれを身につける権利を獲得」??これはもう分かりません…。
3)トランスフォビアとは何か、知らずとも生きていける人のこと。
3)トランスフォビアとは何か、知らずとも生きていける人のこと。
(詳しくは後述します)こうした全てが「トランスフォビア」である。何がトランスフォビアなのか知らない人、そもそもトランスフォビアによる困難の存在さえ否定する人が大多数を占めている不均衡それ自体も含めて。
2)で「てかトランスフォビアって何!?」ってツッコまれることを予想して3)でトランスフォビアについて説明しているかんじです。意味を間違わずに全部拾えてるか不安ですが書き出してみます。
他者からの「トランス差別」
・社会で存在を否定される(「勘違い」「単なる主観」等)
・不審者/犯罪者やそれに類する存在だとみなされる
・身体的暴力や命の危機にさらされ/殺されたりしている
存在を否定されるといいますが、トランスジェンダーであること、つまりジェンダーアイデンティティが一致していないことの証明は不可能なので、存在を肯定しているほうがおかしいとは思いませんか??男性が自分を女性と思い込むのは「勘違い」だし、客観的に証明できなければ確かに「単なる主観」ですね…。内心は自由ですが、他人に認めろと強制はできませんよ。
不審者/犯罪者だと警戒されるのは「トランスだから」ではありません。「男性が女性スペースに侵入したら不審者/犯罪者だから」です。ここを混同しないでください。自身をトランス女性と名乗る人が、女性への加害をほのめかし、女性スペースに侵入したと報告しています。文句ならそういった加害者に言ってください。怖がる女性には責任は一切ありません。
身体的暴力にさらされたり殺されたりするのなら確かに問題です。「トランスジェンダーだから」という理由で加害する人がいるのなら大問題です!トランスジェンダーへの暴力に私も反対します!トランスジェンダーを殴るな!殺すな!
「トランスだから」か!?
・シスのみを想定する社会で自らが何者であるかを理解するのにも困難
・(周囲に理解されないこともままある)
・在職中の性別移行に周囲の協力や理解が得られないことの方が多い
・性別移行に保険が効かない
・戸籍の性別を変えるための法が極めて差別的で厳しい
・法改正の目処も立っていない
・戸籍変更してもアウティングの恐れがつきまとう
・家族や友人等、繋がりから絶たれてしまう(原文ママ)人もいる
自らが何者かを理解するって、もう性別じゃなくて個性じゃん!性別から離れたアイデンティティを探そうよ。性別に関連したアイデンティティなんて女らしさ/男らしさの偏見まみれだからやめなよとは言っておきたい。
戸籍の性別を変えられるという法は「極めて差別的で厳しい」というより「本来認められないが極めて厳しい条件を揃えたら特別に」という救済的なものだと捉えています。特例法(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律)成立の歴史に詳しくはないのであまり言えませんが…。ただその「極めて厳しい条件」があっても男性が女性スペースに入って女性の身体を観察するという前例が出た以上、反対せざるをえません。あくまで犯罪者個人の責任だと言われそうですが、個人ではなく構造が生んだ性暴力だと思います。そもそも戸籍の性別を変えられる法がなければ防げたのではないかと。
「トランス差別言説」
・オンラインを中心としたトランス差別言説 例:「シス女性の安全を損なう」「トランスジェンダリズムという実体のない奇妙なイデオロギーとして名指される」
・要するに尊重されるべき/様々に異なり得る個人としてみなされず悪魔化される
・出会う場、話せる場など数少ない場さえも恐ろしく損なわれてしまう
「シス女性の安全を損なう」には向き合ってください。トランスジェンダーによる犯罪に向き合ってください。女性用スペースの安全を削っているのは自分たちであることを自覚してください。自分の中のミソジニーや罪悪感や加害欲に向き合うことはつらいでしょう。差別だとつっぱねれば考えなくて済むでしょう。でも女性の命がかかっているので私は責めていきます。
「実態のない奇妙なイデオロギー」なんて言わないであげてくださいよ…『トランスジェンダリズム宣言―性別の自己決定権と多様な性の肯定』を出版した人たちがかわいそうじゃないですか…。
悪魔化されているんじゃなくて、実績に注目されているんじゃないでしょうか。身体男性の犯罪件数、検挙されない性暴力の存在、毎日のニュース…身体男性を信用できない実績が積み上がっている社会で、むしろどうして信じてもらえるなんて思えるんでしょうか??個人がたとえ加害の意思がなくとも、身体男性が身体女性を差別する構造が存在する社会である以上、その構造の一部であることから逃げられません。構造がなくなったとき、つまり女性差別がなくなり性暴力が地球上でゼロになったときには信用してもらえるかもしれませんね~。
で、シスジェンダーって何!?
「シス/トランスに必ずしも確固たる境界がある訳ではない(p28)」と書いています。様々な違和のグラデーションやスペクトラムとして理解するものであると。そんなに曖昧で範囲が広いとなると、詐称を防げるとは思えませんねえ…。ジェンダーアイデンティティもトランスジェンダーもトランスフォビアも曖昧な概念なのに、それを使って説明したから超曖昧になっちゃったんじゃないでしょうか。ある意味無敵ですね。自分たちの発言はなんでも合ってると言えるし、他人の発言はなんでも違うと言える。定義を曖昧にしておくのはわざとなのかもしれません。
「だが、それでもシス特権は存在する(p28)」と書いています。私は存在を疑ってますが。「シス特権」は男性特権を不可視化するためのでっち上げだと思っています。女性の権利向上運動にぶつけて、男性特権を責められないようにする戦略だと思っています。性差別社会なのに異性を自認すれば男性が女性より社会的弱者だと主張し、女性の権利向上運動にぶつけるのがさも正しいかのように見せかける。違うと言うのなら男性特権に向き合ったうえでシス特権を主張してほしい。多分無理だけど。
「特権性を名指すカテゴリーこそがシスジェンダーなのだ(p28)」は本当にひどいですね。シスジェンダーという概念に特権という意味をベッタリくっつけようとしてる。身体男性「全員が」「平等に」女性の概念やスペースに侵入できないのに、異性自認身体男性(いわゆるトランス女性)が侵入できることこそ特権なのに。自分たちこそ特権を要求してるって分からないものなのでしょうか。少なくとも特権という角度から考えても、「シスジェンダー」という言葉は女性差別的な言葉なので使用には断固反対していきます。
かがみ「「キラキラしたトランスジェンダリズム」ってなんですか?」
「世の中には生まれつき女性の人がいる一方、二十数年の歳月と数百万円の金銭を費やし、地獄のような痛みと苦しみにも耐えてようやく女性になれる―――「女性に戻れる」―――人もいます。」(p30)
お忘れのようですから言っておきますが、男性は女性に「なれません」。女性に「戻れません」。誤解を生む表現をしないでほしい。別に手術自体の苦しみや性別に関する苦しみは否定しない。苦しいものは苦しい。でも嘘は嘘だ。
なぜそこまでして女になりたいのか言語化してほしい。無理ならなぜそこまでして男でいたくないのか言語化してほしい。こういう人たちには性別を変えたい理由を書いてほしいって思うんだけど、知られたら困るのかな。
周司あきら「共犯者」
女性自認男性(いわゆるトランス女性)と彼を愛する犬の物語だそう。言葉を伝えたいけど伝えられない、犬の1人語りといった感じです。動物の動画に芸能人がセリフをつけるテレビ番組を思い出しました。その番組、動物の心情を勝手に考えるのどうなの?みたいに、あんまり良い意見を読んだことないですが…。そしてこの文章の中ではトランスジェンダーに都合のいいことを言わせています。いいのかそれで?
おわりに
他の人のエッセイはなんか…ゆるふわすぎてツッコむにツッコめない。ブックガイドもいつもの本が紹介されてます。反トランス差別≒トランスジェンダリズムの人たちの主張は前提がおかしいし論理も不思議ですが、彼らの考えてることが少しは分かるので読みたい人はどうぞ。
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